インタープリテーションと「社会」

西村仁志「ソーシャル・イノベーションとインタープリテーション」の冒頭部分です。
( 津村俊充 , 増田直広 , 古瀬浩史 , 小林 毅 『インタープリター・トレーニング』ナカニシヤ出版)
http://www.nakanishiya.co.jp/book/b185655.html

 本書においてインタープリテーションは「自然地域や歴史地域、社会教育施設等における教育的なコミュニケーション」だと位置づけられています。取り扱うテーマが自然であれ、歴史であれ、そうした具体的資源を素材として取り扱い、それらを媒介として自分以外の人間とコミュニケーションを行うということは、それらは間違いなく「社会的な活動」です。

 そして、フリーマン・チルデンによれば「単に事実や情報を伝えるというよりは、直接体験や教材を活用して、事物や事象の背後にある意味や相互の関係性を解き明かすことを目的とする教育的な活動」だと述べています。このことは「価値観」や「概念」といった、目には見えない、形のないものについて伝えるということであり、そこには伝える側のもつ価値観や意図が大きく影響するということです。放送や新聞・雑誌などのマスメディアと同様に、インタープリテーションという手法はいかようにでも用いることができる。つまり現社会体制の維持や強化にも用いることができ、またその反対の行為のためにも用いることができるということでもあります。

 コラム「ヨセミテ国立公園におけるインタープリテーション」でも触れましたが、ジョン・ミューアは19世紀末のアメリカにおいて「ウィルダネス(原生自然地域)」をそのまま保存することを主張し、社会にその支持を拡げるために「自然を直接体験し、その美しさ、すばらしさを伝える」ことを実践しました。また国立公園局の初代長官スティーブン・マザーは国立公園への道路網や滞在施設の整備を行って、国立公園の大衆化を促しました。さらにマザーが行ったパークレンジャーの配置とインタープリテーション活動の導入は、まさに国立公園システムを体現するともいえるパークレンジャーが、ビジターとの直接対面の機会によって、アメリカ国民を一つのコミュニティとして結びつけるものとして機能しました。つまりマザーは「移民」として世界各地から新大陸にやってきた多様な民族・言語の背景をもつ人々が、「この大陸が自分たちの土地であること」そして「アメリカ人」であることを共通して自覚することが重要であると認識していたのでした。

 その後、国立公園局は、原生自然サイトだけにとどまらず、アメリカ合衆国の歴史、すなわち初期の永続的植民地となったバージニア州のジェームズタウンや、独立戦争・南北戦争の戦跡、アメリカ先住民やマイノリティの苦難(第二次大戦中の日系人強制収容所も含まれる)に関わるサイトなどを管理するようになりました。つまり「優れた業績から内輪の恥まで、国家としての成長のあらゆる側面を浮き彫りにする地域や場所[i]」を管理運営してきたわけです。つまりアメリカの国立公園で行われてきたインタープリテーションは自然や歴史についての理解を助けるだけではなく、まさにアメリカ人を一つのものに結びつけるソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)の意図をもって、その役割を果たしてきたのです。
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[i] ボーマー「公園はすべての米国人を結ぶ特別な場所」(Ejournal USA, 第13巻第7号「「国家遺産としての国立公園 = National parks, national legacy」)米国大使館レファレンス資料室, 2009