田中洋之さん「本気が出せる子を増やしたい」

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田中洋之

 

田中洋之さんプロフィール
1985年6月22日、広島県生まれ。広島大学教育学部数学コースを卒業ののち、大学院に進み2年間数学の研究をする。24歳の時に大学院を卒業し、基町高校で時間講師をしながら教員採用試験の勉強を続け、教員採用試験に見事合格。高陽東高校で数学の授業を担当している。また、学生時代から続けているサッカーを生かして、サッカー部の顧問としても生徒から信頼されている。

■まずは生年月日を教えてください。

昭和60年6月22日、今年で30歳になります。生まれも育ちもずっと広島です。僕の幼少期はよく泥団子を作っていた記憶があります。小学校は市内にあ る広大附属小学校でした。このときからサッカーは好きだったので放課後に時間があれば友達とサッカーをしていました。あとは、習字、ピアノ、水泳、塾に 通っていました。

■中学や高校はどうでしたか?

僕はずっと広大附属の学校に行っていました。中学生の時はサッカーが本格的にできるということもあって部活にうちこんでいました。高校は、進学校なので まずは勉強が大前提でした。勉強ができてスポーツもできる。これが理想でしたけど、勉強が1番とわかってはいてもそれを奥底にしまっている自分がいまし た。このときにお世話になっていた先生がいて、いつしかこんな慕われる先生になりたいと考えるようになり、教師になることに決め、大学もその先生と同じと ころに行こうと思い、広大の教育学部に決めました。

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■大学に入学してからはどうでしたか?

まず、サッカー部に入部したんですけどレベルが違いすぎてすぐにやめてしまいました。でもサッカーはしたかったのでサークルに入ってサッカーをしていま した。勉強は試験の前に頑張るといった感じでした。いくつか単位も落としたけど、数学の単位は絶対に落としませんでした。特にいやだったのがドイツ語です ね。あれは本当に難しくて嫌いでした。夏休みとかはバイトがほとんどでしたね。あとは、サークル、旅行といった感じで時間を使っていました。

■大学を卒業した後はどのようにすごされたのですか?

大学のゼミの先生に勧められ大学院に進み2年間数学の分野の研究をしていました。24歳の時に大学院が終わり教員採用試験を受けましたが残念ながら落ち ました。それからは基町高校で数学の時間講師をやっていました。時間講師を1年間続けて2回目の教員採用試験を受けたのですが2回目もだめでした。また基 町高校で1年時間講師を務めて3回目の教員採用試験で合格しました。

■最初の勤務先、高陽東高校に赴任してからのお話を聞かせてください。

1年目はあっという間でいろいろ工夫しながら授業をしていました。授業以外では3年生の副担任でみんな優しくてすぐに馴染みました。2年目は1年生の担 任を持ったのですがいいクラスで楽しくやっていました。特に行事ごとはいい時間でした。3年目も同じクラスの担任でさほど変わりはなかったです。

■現在の広島と先生たちが若いころの広島は違いがありますか?

難しいですね。全く意識したことないのでわかりません。それはあまり意識することではないと思います。

■広島の未来についてどう思いますか?

少し変わるかもしれませんが、もっと高校生たちが本気になれる場を作ったほうがいいと思います。今の高校生は本気が本気でないように思えます。私からす ればもっとできると思うのに、これが限界という感じの子が多いです。ですから本気の本気を出せる場を作ったほうがいいと思います。あと高校生が意見をもっ と言えるような場も必要なのかなと。本気の人たちと関わることが今の高校生には大事でそれを知ることによって広島の未来もよくなると思います。

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ききて:今井鷹
写真:芋迫亨太