松原裕樹さん「支援する立場から意識改革を」

111月 - による webmaster - 0 - インタビュー記事

松原裕樹さんプロフィール
1982年広島生まれ。NPOや企業、渡米経験を経て、環境、教育、地域づくり、観光、防災などに関する事業の企画、運営、支援、コーディネートを行っている。近年は、自然学校や参加体験型の学習塾「ブッククラブ」、協働やESD(持続可能な開発のための教育)を推進する中間支援組織など、現場から後方支援まで幅広く活動している。
平成26年8月20日に発生した広島市豪雨災害では、広島市や広島市社会福祉協議会等と共に、広島市災害ボランティアセンター(現在:広島市復興連携本部)の運営に務めた。
経歴〉2004年 広島工業大学環境学部環境デザイン学科卒業
2006年 特定非営利活動法人ひろしま自然学校
2010年 The Institute for Earth Education
2011年 株式会社JTBコミュニケーションズ
2012年 特定非営利活動法人ひろしまNPOセンター

Q:今の自分の仕事を見て何か環境に貢献できているって思える仕事はありますか?

A:卒業した頃から、順を追ってお話ししますね。大学4年生の時に、普通に就職活動をしていたんですよ。ちょうどその年に福井県で集中豪雨災害があったんですよ。それがニュースで取り上げられて、同世代が災害ボランティアに参加していることを知って、自分はこのままでいいのかな?と思って、友達と一緒に行きました。その時まで、環境デザインについて学んでいたけど何か違和感を感じていたんですよ。昔の人が本で水害は人災だって言っていたので、知識でしか知らなかったことが、実際に目の前で起こったから、こういうことかと感じて、人間中心で街づくりをしても環境と共生しているとは言えないなと思ったんですよ。それで、1年間フリーターをして、環境をテーマにした職に就きたいと思って、お金を貯めて全国各地の自然学校に体験しに行って、広島でも自然学校がしたいなと思って探したら、ひろしま自然学校が活動をしていて、北広島町で里山との関係についての活動をしていたんですよ。そこでボランティアに参加していたら、職員に空きが出たため、採用されました。そこで、インストラクターの仕事をしていました。代表の志賀誠治さんに出会い、ワークショップなどいろいろな活動もできました。それと、アメリカで開発されたEarth Education(地球教育)を取り入れて広島で一般の子供を相手にプログラムを提供していました。この学習プログラムは、全世界で行われているものだったので、深く学ぶためにアメリカに行って住み込みでトレーニングを受けました。そして帰国してから、JTBの関連の会社に一緒にやらないかっていう誘いを受けました。当時の広島県は、修学旅行生の受け入れに力を入れていたので、長崎などでやっている民泊を山も海もある広島でやろうとしていました。その時、ここの会社が事業を県から委託された関係があったから、民泊や漁業体験や農業体験といったプログラムを作ろうとしていました。でも旅行会社は、商品を売ることをしても開発することはしていなかったので、誘いが来ました。そして、4つの地域でプログラムを作ってくださいっていう仕事を県から受けました。だけど、旅行会社の方は作れないから、自分が環境への取り組みをしていたので、やろうと思ったし、会社に入ってみたいという気持ちがあったから入りました。ですが、1年間限定でした。そうしたら、新しい組織から誘いがありました。その誘いをしてくださったのが、ひろしまNPOセンターでした。ひろしまNPOセンターには、20分野で事業を行っています。自分は、環境や街づくりをしてきたので、もっと幅を広げたいなと思いここで働いています。

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Q:現在やっている活動で、中心的な活動は何ですか?

A:環境と教育をやっていたので、ESD(持続可能な開発のための教育)を中国地方でやっています。子供だけじゃなくて、いろんな行政や企業の人に対してもやっています。他にも去年の土砂災害の復興支援もやっています。ESDと災害・復興支援の2つがメインです。
ESDは、全国各地で取り組まれていて、私たちは、中国地方で協力してやっています。

Q:修道からも土砂災害のボランティアに参加したのですが、それもやっているのですか?

A:はい、去年は広島市災害ボランティア本部で、安佐南区・北区の災害ボランティアセンターをサポートしながら、支援をしていました。主に支援の立場でやっていました。支援をやっている傍らひろしまNPOセンターとしても活動をやっていました。全国の支援団体と連携して支援もしていました。災害支援物資を分配して配りました。後もう1個、NPOの立場でやっていると、県外から想定以上の支援団体やボランティアがいたため、混乱も起こっていました。一般の人は、ボランティアセンターに行ってボランティアセンターの指示に従って動いていました。でも災害支援に特化しているNPO/NGOは、ボランティアセンターを通さずに自分たちで地域に入って支援する人たちもいました。支援センターは公的なところだったため、県が危ないと判断したら送り込めなかったわけなんですよ。でも、被災者の人ってすぐに助けてほしいっていう人もいるので、危険な状況でも自己責任で支援できるという強みがNPO/NGOといった団体にはあったのでしていたんですよ。物理的な問題もありました。土砂を運ぶ場所は指定されていましたが、それを知らない人たちが道路に土嚢を積み上げたりしていました。また、農地は補償制度がるので、勝手に土砂を取ってはいけないということを周知する必要がありました。だからお互い何をやっているんだって。だから、広島市土砂災害NPO/NGO支援連絡会議って言うのを開いて、お互いにやってきたことを報告し合って、被災者の方がどんなニーズを求めているのか?を考えて、役割分担をしてやろうねっていう会議を始めました。この会議を通して、中間支援組織っていう立場で取りまとめをしていました。いろいろな役割と方向を持ってやっていました。緊急的な支援活動が落ち着くと県外からの人たちがいなくなってきました。そうしたら、地元の人たちが引き継がないといけなくなって、地元の人たちと活動をするために、8.20広島復興支援市民会議を開きました。今、被災地を中心に復興ビジョンの計画が進んでいるけど、地域住民の人たちが自分たちで復興できるような自律支援を考えているんですけど、そういう仕事をやっています。

Q:、中心的にされているのが、ESDと災害復興支援ですね?

A:はい、目的ベースでいうと持続可能な社会や地域を作っていきたいっていうのが自分の中で大きな目的意識がありますね。そのための教育ですね。後、災害復興支援でも、それって持続可能な復興支援なのっていう問いかけをしながら、活動をしています。
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Q:それでは、広島の未来を切り拓くということについて、何をされていますか?

A:毎月の第二金曜日に、いろいろな立場や世代が集まってやる、ひろしま未来交流会っていうのをやっています。そこでは、大人も広島の未来についての不安があるため、企業や団体や行政や市民が一緒に協働していこうと、毎回テーマを募集して意見・情報交流したり、そこから出てきたアイデアを実現化しています。

Q:その活動会でされたのって何ですか?

A:カープの樽募金を活用して、カープの魅力を伝えながら、広島の課題について考えようっていう活動をやっています。フリーペーパーを作って、カープファンをつかみ、フリーペーパーで貯まったお金で社会で支えたい子供たちを球場に招待しようっていうのをやっています。子供たちを元気にさせることにより、広島の未来も明るくなります。子供たちを招待することにより、知らない内にカープのことが好きになり、将来、大人のカープファンになるようなことを目指しています。広島の未来のためにっていうことでカープを取り上げています。他にもいろいろなことをやっていきたいなって思っています。自分が積極的にやるのではなく、みんなが主体的に広島の未来について考えられるように、支援する立場から、意識改革を行っています。

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ききて:有村茜音