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シエラネバダ〜光の山々へ 1998年夏

写真と文・西村仁志

グラニットレイク
四回目となるヨセミテへの旅は、ぜひ一度体験したかったツォロミー草原でのキャンプとハイシエラへの山行でした。ツォロミーはヨセミテ・ヴァレーからさらに1400mも高く、ヨセミテ国立公園の奥座敷ともいえるところ。これまでも毎年日帰りで訪れていたところですが、今年ついにそのチャンスがやってきたのです。
 昨年9月ヨセミテの帰りにバークレー在住のキミ・コダニ・ヒル(彼女には1995年の最初のヨセミテツアーでガイドをつとめてくれた。)の家を訪問したときに、「こんどツォロミーでキャンプするときは声をかけてほしい」と頼んでおいたところ、朗報は忘れた頃にやってくるというのは本当で、今年5月に「キャンプ場予約するけど、行く?」という知らせがやってきたのでした。(頼んだ本人は忘れていたのに、よく憶えていてくれたもの)日程は8月上旬。8月2日(日)に彼女が国立公園局のボランティアとして彼女の祖父チウラ・オバタ(故人。1927年に初めてヨセミテをスケッチ旅行し日本画で描いた。UCバークレー名誉教授。)についてのスライド&トークをツォロミーで行うので、その前後7日間をキャンプしようということでした。その時期はカラーズの仕事も夏のシーズンで書き入れ時の頃とは知りつつ、ツォロミーの誘惑には勝てず、「行く」と返事をしてしまいました。
 飛行機のチケットも手配し、テント、シュラフ、ストーブなど普通の海外旅行ではいらないキャンプ道具を、でかいスーツケースに一式詰め込んで7月31日関西空港から出発したのでした。
7月31日(金)
 思いがけず飛行機の席はビジネスクラス。満席なのでこちらにまわされたのだと思うが、毎回お願いしたいもの。サンフランシスコ国際空港からはエアポートシャトルでバークレーへ。約1時間でキミの家に到着。まずは休憩だが翌日早朝出発なので準備も欠かせない。アウトドア用品の巨大ストアREIに行き、燃料と暖かい靴下を仕入れる。スーツケースはここに置かせてもらい、ザックに詰め替える。
8月1日(土)
 キミのお父さんユージンを乗せて10:00出発。快晴。ハイウェイ580から120。カリフォルニアの大農業地帯を横切り、シエラの山々にさしかかると延々と上りが続く。年代物のトヨタカムリはちょっと息切れ気味。途中Grovelandのピクニックエリアでランチ。結局15:00すぎだから5時間かかってツォロミーに到着。国立公園入園料はキミがボランティアということもあって無料だった。
 キャンプ設営。キミの友人たちベッシー、フローレンス、ローズマリーとあう。サクラメントから来たベッシーの弟ジミーと息子二人ベリーとケイシーも一緒。総勢9名の大所帯。
 夕食はみな一緒に。ベッシーは食料をたくさん持ってきているので御馳走になる。
 18:30からレンジャープログラム「Music Walk」に参加。これはわが日本の環境教育業界でも伝説のプログラム。オーケストラに所属していたレンジャー、マーガレットのフルートを聴きながらサンセットを見る。最高!。
 夕方から高山病の症状出る。飲んでいないの酔っ払ったみたいにふらふら。酸素が足りない。ここは標高2600mなのだ。
8月2日(日)
 夜何度も目が覚める。0時、3時、4時、5時、6時30分ようやく起床。寒い。ダウンジャケットを着てキミと散歩。草原には霜が降りている。可愛い花にも霜が降り、山の端から朝日が照りはじめると輝く。むちゃくちゃきれいだ。快晴。
 9:00集合で、皆でパピードームそしてランバートドームへ。草原は一面のお花畑。
 昼食を済ませて、この日は14:00からパーソンズロッジで、キミのスライド&トーク「チウラオバタのヨセミテ」聴衆70名、すごく集中して聴いている。スライドもよかった。チウラオバタの絵はすごくいい。繊細かつ大胆。いのちの躍動感。大自然への畏れと尊敬。自然のなかでいのちが輝いている。
 帰ってきて、ライエルフォーク川で水浴び。むちゃくちゃ冷たい。でもシャワーがないので体をこすって洗う。頭も洗う。川のほとりで絵はがきをかく。
 夕食。またベッシーたちの招待。サルサとショートパスタ、スィートコーン。
 自分のテントに戻る。絵はがきの続きを書いて寝る。
8月3日(月)
 起床7:30 よく寝た。快晴。朝食はケーキ、紅茶、お味噌汁。
この日はタイオガ峠から4時間のクロスカントリーハイキング。ゲイラーレイクとグラニットレイクを巡る。景色も、お花も最高に美しい。ゲイラーレイクの水面の向こうに残雪がたくさん頂くシエラの山々が輝いている。帰ってきてまたライエルフォーク川で水浴び。これは日課になる。
 夕食のときアン・アイズラーと話す。「Music Walk」のレンジャー、マーガレットのお母さん。たぶん70代だと思うが、僕より背が高いおばあちゃん。1956-1961の6年間、ツォロミーにあったシエラクラブのSoda springs Campgroundの管理人だったと聞く。お話好きでいろいろなこと話す。毎夏ツォロミーに2週間キャンプで滞在している。南カリフォルニアのサンタバーバラから一人でクルマを運転してきている。すごい。このおばあさん洒落が利いていて、小さな丘にある私たちのキャンプサイトA46,A48,A49はすべてキミの友人達なので「Kimi’s Hill」と名付けた。
8月4日(火)
 またまたはやく起きてしまう。4:00に国際電話かけに行く。京都は猛暑だとか。こっちはダウンジャケット姿。摂氏6度。
 この日はヨセミテ国立公園のちょうど真ん中になるマウント・ホフマンMt.Hoffman(3,307m)行き。9:00に出発。快晴。9:30にメイレイクの駐車場について歩き出す。
 10:00メイレイク。またまたきれいな湖。ホフマンはなかなか厳しい。高度も3300mくらい。雪もたくさん残っていて、雪渓の上を歩く。最後は岩をかきわけて登る。12:20頂上到着。360度パノラマ。公園の北側半分が見える。初めて見る景色。頂上の北側は切り立っていて、下には凍った池が見えている。
 夕食。またまたおばさま方からのご招待。ソーセージ、具たくさんのスープ。コーン。
 20:00レンジャーの「キャンプファイアー」に参加。途中で隣のサイトにクマが出現し、場内騒然となる。
 21:00眠たくなってテントに入るが、隣のサイトの犬が吠え、鍋をたたく音も聴こえる。なにやら付近が騒々しい。熊のおでましらしい。ユージンは僕のテントの横を歩いていくクマの姿を見たらしい。
8月5日(水)
 6:00起床。快晴。この日はクラウズ・レストClouds Rest(3,025m)への単独行。7:20に出発し、ストア前でバスを待つが、なかなかこない。同様に待っていた少年達もフリスビーを始める。
 8:30バスがやっとくる。8:45テナヤレイク着。少年グループはヨセミテヴァレーに行くとのこと。歩きはじめるとテナヤレイクからの川を渡るが水かさが高く、ステップストーンが20センチほど沈んでいる。靴がもうびちょびちょ。
 トレイルからは花がきれい。途中珍しい鳥Blue Grouseをみる。(日本の雷鳥みたいなの)低い「ホッホッ」という鳴き声。親子でいた。
 11:40頂上到着。最後は「ナイフエッジ」両側が切り立っていて、足がすくむ。ハーフドーム、ヨセミテヴァレー、テナヤキャニオン。ホフマン。テナヤレイク。眺めが素晴らしい。
 12:15出発。帰り道、また例の少年達に会う。彼らは重いバックパックを担いでるために、もうヘトヘトになってる。オジサンの指導者と話してみるとロスアンジェルスの近くからきたボーイスカウトのグループらしい。自分は日本からきたと言うと「中国と一緒になって、どうだ?」という。首をかしげていると、よこから少年が「おいおいそれは香港やろ」と言っている。14:50テナヤレイクバス停着。往復約20km近く歩いている。
 しんどー。キャンプ場に帰って、グリルでハンバーガー食べ、Jumping to river。ベッシーやフローレンス達はこの日帰ったため、この夕食からは急にシンプルになる。味噌汁とカレーライス。暗くなってランタンを灯して、ビールを飲みながら星野道夫さんの話になり、「森と氷河と鯨」の話をしだすと止まらなくて、気がついたら2時間以上も下手な英語で喋り続けていた。22:30またクマ出現。
8月6日(木)
 この日はマウント・デナMt.Dana(3,979m)へ。8:20発。晴。公園の東側ゲート、タイオガ峠にクルマを停め歩き出す。風が冷たい。気温15度くらい。途中みる花がきれい。高度を上げていくと珍しい高山植物が次々とあらわれる。なかでも山の王様ともいわれる「Sky Pilot」の花は空の色のように青く美しい。岩がごろごろ瓦礫のようでなかなか険しいルート。
 11:20頂上着。3時間。眺めすごい。眼下にはモノレイク。ネバダの砂漠や山々が見渡せる。面白いことに東の砂漠地帯から吹き上げる熱風があるので頂上のほうが暖かい。昼食をとって、ちょっと昼寝して12:00下山開始。帰りは雪渓の上をジャンプしながら降りる。下界は結構暑い。所要時間1時間50分。この日は久しぶりにTuolumne Lodgeで熱いシャワー浴びて帰る。洗濯して、ブーツを洗って、ビールを川で冷やして、日記書き。キャンプ場は静か。
 18:30レンジャープログラム「ミュージックウォーク」にいく。またマーガレットのフルートのプログラム。僕のこともよく覚えてくれている。土曜日とは異なる内容。音楽のこと、自然の音のこと。耳を澄ませてみてなにがきこえるか。楽器もパンフルート、ケーナ等いろいろ出てくる。
 日没と同時にほぼ満月の月が東の山の端から昇りはじめる。素晴らしいタイミング。プログラム終了後もキミと二人で残り、20:50までお月見して帰る。
8月7日(金)
 6:30起床。快晴。今日で閉営だ。テント内を片づけ、このあと厄介になるメドレー家宿泊の荷物とキミにバークレーに持って帰ってもらう荷物とを分ける。
 7:40出発。道沿いに車を置いて歩き出す。30分かけてPothole Domeを裏側に回り、川のほとりで朝食。ここは草原のなかをゆったり流れてきたTuolumne Riverが急に暴れ出すところ。キミはスケッチをしている。(描き上げたら僕にくれた)
 9:50出発。ヨセミテヴァレーを経て、12:00El Portalのヨセミテ協会事務所に着く。下界はむちゃくちゃ暑い。ヨセミテ協会会長のスティーブン・メドレーさんと再会。
 このあとは国立公園の南にあるオークハーストとバークレーで3日をすごして8月11日、日本に帰ってきました。ハイシエラですごした7日間はあっという間でしたが、短い夏を謳歌する花々や、残雪を頂き輝くシエラの山々、身を切るほど冷たいライエルフォークの清流はいまもこころの中に焼きつけられています。
 ヨセミテへの旅は私にとっての聖地巡礼です。ひとりトレイルを歩いていると神の言葉も、悪魔のささやきも聴こえてきます。そんな自分自身と向き合い、いらないものをそぎ落としたキャンプの質素な生活から、ほんとうに大切なものが見えてくるように思います。

ヨセミテ・アソシエーションについて

The Yosemite Association(Y.A.)


季刊誌「Yosemite」

ヨセミテ・アソシエーション(YA)は、図書の出版・販売、プログラム、フィールドセミナーおよびビジター・サービスなどの事業活動および会員制度を通じてヨセミテ国立公園の支援を行っている非営利の教育組織です。
YAはアメリカで最初の「国立公園に協力する組織」として1923年に設立されました。教育プログラム、博物館の運営、研究および環境上のプログラムを支援するために国立公園局(NPS)への援助を行っています。
■2000年にYAがNPSに対して行った援助
自然解説に $158,886
情報支援に $151,871
自然解説プログラムの運営に $39,909
出版物の経費として $30,527
販売地域デザイン変更のために $13,631
その他 $65,270
合計 $460,094
■会員数(2000年度末)
8,500名 (2000年度の新入会員は897名)
■会員の特典
・季刊誌「Yosemite」の購読。(年4回)
・ビジターセンターのブックストアでの図書、地図、ポスター、カレンダーおよび他の製品の15%の割引。
・フィールド・セミナー参加費の10%割引。
・アンセルアダムスギャラリーでの購入の10%割引。
・会員ミーティングやボランティア活動への参加。
■会員の種類と年会費
A.個人会員 INDIVIDUAL MEMBERSHIP $30
B.家族会員 FAMILY MEMBERSHIP $35
C.支援会員 SUPPORTING MEMBERSHIP $30
D.貢献会員 CONTRIBUTING MEMBERSHIP $100
E. 永年会員 SUSTAINING MEMBERSHIP $250
F. パトロン会員 PATRON MEMBERSHIP $500
G. 後援者会員 BENEFACTOR MEMBERSHIP $1,000
H. 国際会員 INTERNATIONAL MEMBERSHIP $40


日本在住の方も国際会員として入会できます。入会手続きはWEBサイトからどうぞ。


The Yosemite Association


「ヨセミテ国立公園大好き!」はYOSEMITE ASSOCIATIONを応援しています。

ヨセミテ渓谷からのハイキング



ハッピーアイルからヴァーナル滝へ

 ヨセミテ渓谷からの日帰りハイキングコース。「易」はハイキングというより、お散歩って感じ。
 丸1日のハイキングならヴァーナルとネヴァダ滝をめぐる「ミスト・トレイル(霧のトレイル)がおすすめ。いけるところまでいけばいい。ネヴァダ滝の上は川遊びや日光浴している連中でいっぱい。(間違っても川に落ちて流れていかないように。)
 健脚の方にはヨセミテ滝頂上そして憧れのハーフドームがおすすめ。(ぼくは両方登りました。)ほかのコースとは達成感が違います。
 グレイシャーポイントにはバスも出ている(冬期運休)ので、4マイルトレイルを下りだけに使う手もあります。












目的地出発地距離難度所要時間備考
ブライダルヴェール滝ブライダルヴェール滝駐車場往復0.8km往復20分車椅子+介助者で可
ミラーレイクシャトルバス#16片道1.6km片道30分車椅子可(看板に注意)
下ヨセミテ滝シャトルバス#4往復0.8km往復20分車椅子+介助者で可
上ヨセミテ滝
コロンビアロック
サニーサイドキャンプ場
シャトルバス#5
往復3.2km健脚向
標高差300m
往復1〜3時間冬期はビジターセンターで状況確認のこと
上ヨセミテ滝頂上サニーサイドキャンプ場
シャトルバス#5
往復11.6km健脚向
標高差820m
往復6〜8時間冬期はビジターセンターで状況確認のこと
ヴァーナル滝下橋ハッピーアイル
シャトルバス#15
往復2.0km
標高差120m
往復1〜2時間冬期はビジターセンターで状況確認のこと
ヴァーナル滝頂上ハッピーアイル
シャトルバス#15
往復4.8km健脚向
標高差305m
往復2〜4時間冬期はビジターセンターで状況確認のこと
ネヴァダ滝頂上ハッピーアイル
シャトルバス#15
往復11.3km健脚向
標高差580m
往復6〜8時間冬期はビジターセンターで状況確認のこと
ハーフドーム頂上ハッピーアイル
シャトルバス#15
往復27.4km超健脚向
標高差1463m
往復10〜12時間6月〜10月中旬のみ(オフは頂上のワイヤーが外される)
グレイシャーポイント
(4マイルトレイル)
渓谷の南側車道片道7.6km健脚向
標高差975m
片道3〜4時間冬期はビジターセンターで状況確認のこと

ヴァレー周辺ハイキングマップ(pdf形式・約1.5MB)

ワワナとマリポサグローブ

Wawana & Mariposa Grove


Wawona Hotel

 ワワナはヨセミテ渓谷から南に40キロ、国立公園の南端にあるエリアです。(公園の南ゲートからは約6キロ)ここワワナも歴史のある地域で、19世紀にたてられたワワナ・ホテル本館、またマーセド川南支流を屋根付きの橋を渡るとPioneer Yosemite History Centerがあり、開拓時代の建物群を観ることができます。ホテルの前の草原には9ホールのゴルフコースが広がっており、プレイを楽しむこともできます。
 近くにはジャイアントセコイアの森Mariposa Groveがあり、ヨセミテヴァレーとならぶ公園のもうひとつのハイライトです。ジャイアントセコイアは樹齢3000〜4000年にもなり地球で最も長寿の生命体といえるでしょう。ここでは森の中を巡るハイキングやトラム(屋根無しバス)ツアーを楽しむことができます。

レンジャープログラムに参加しよう!




レンジャープログラム・ヨセミテ博物館前にて
このレンジャー、シェルトン・ジョンソンはヨセミテの名物レンジャーの一人。
クラリネットの演奏を交えてのリズミカルなトークに参加者はどんどん引き込まれていく。


 ぜひ一度はレンジャープログラムに参加しよう。ヨセミテに限らず、ほとんどのアメリカの国立公園ではパークレンジャーによる無料の解説(インタープリテーション)プログラムが行われている。無料とはいっても、??らは国家公務員/プロの解説者(インタープリター)であるから、その内容は興味深く、たいへん質の高いものである。
 インタープリテーション/インタープリターとは直訳すると「通訳」なのだが、この場合は英語から日本語への通訳という言語間の通訳ではなく、自然のなかのさまざまな営みの意味を人間が解釈できるように解説すること。つまり自然は人間の言葉を喋れないので、自然と人間をつなぐ「通訳」というわけだ。
 レンジャープログラムに参加するには申し込みも、予備知識もなにも必要なく、情報紙”Yosemite Guide”に掲載されているスケジュール通りに集合場所にいくだけでいい。(一部には有料のもの、事前申し込みが必要なものもある。また「弁当持参」「暖かい服装で」と明記されているプログラムもあるので、ビジターセンターや”Yosemite Guide”で必ず確認必要。)1〜2時間程度のウォーク&トーク、日帰りハイキング、スライド&トーク、キャンプファイヤー&トーク、歌など形態もさまざま。またテーマも、動物、植物、地学、天体、歴史、先住民の文化、詩や音楽などさまざまである。これらはすべて英語なのだが、「英語は苦手でさっぱりわからない」という方も億劫がらずに一種のエンターテイメントと思って参加してみるといいだろう。


マーガレット・アイズラーも私の敬愛するレンジャーの一人。
彼女は以前オーケストラに在籍していたが、ヨセミテの大自然に惹かれてレンジャーとして働いている。
彼女の名物プログラムは夏にTuolumne Meadowsで日没時に行われる「Music Walk」で、
ランバートドームに登り、落ちる夕陽を眺めながらフルートの演奏と詩の朗読を行うものだ。

ヨセミテの気候



渓谷のWilderness Centerの掲示

■概況
 ヨセミテの気候は比較的温和だが、4月から10月にかけては日中あたたかく夜は冷える。冬も比較的温和で平均最高気温はヨセミテ渓谷内(海抜約1,200m)で摂氏5度〜10度。もちろん標高による影響は大きいので海抜600mから4,000mまで、ヨセミテ国立公園内はおどろくべき気候のバリエーションがある。
 年間降水量は約1000mm。そのほとんどが12月から3月にかけて降る。11月にはたいてい初雪が降り、渓谷での積雪は平均74センチだが、60センチを超えることはまれ。海抜2,100mのバジャーパスではたっぷりの雪でダウンヒルスキーを楽しむことができ、またクロスカントリースキーも公園の高地部でよく楽しまれている。
 春、暖かくなると川の流水量が増え、そして激動する滝をつくりだす。しかし夏の渇水期になると多くの滝が枯れてしまう。
■服装は
 夏のヨセミテ渓谷内の滞在であっても、朝夕は10度近くにまで下がるということをお忘れなく。セーターやジャケットを1着入れておこう。
■ハイカントリーの気候
 夏期にはクルマでタイオガ・ロードを通り、2時間ほどでツォロミーメドウズやタイオガ峠まで比較的容易にアプローチできる。しかしここはヨセミテ渓谷から1,500m以上も高所であることを忘れてはならない。
 一般に高度100mで0.6度気温が下がるといわれており、単純にこれを当てはめると9度近く気温差があると思っていただいて良い。つまり8月であっても最高気温23度、最低気温1度ということになる。私も8月ツォロミーメドウズのキャンプでは昼間はTシャツ・短パン姿だが早朝はダウンやフリースのジャケットを着用した。
■ヨセミテにはどの時期に行くのがいいか
 ヨセミテは四季を通じて楽しめるため、一概にいつがいいかは言えない。ただし夏期のみ、あるいは春〜秋のみオープンする道路、プログラム、施設も多いため、国立公園の全容を知ろうと思えば夏シーズンに行く必要があるだろう。
 一方で厳冬期の静けさ、氷と雪のヴェールの包まれた姿も神秘的だ。

  • 6月中旬〜
    夏期シーズンの始まり。ビジターセンター、レンジャープログラムの規模が最大限にオープンする。学校も夏休みになり、こども向けのプログラムも始まる。滝の水量もこのころピークである。
    冬の積雪量によるが、ハイカントリーへのルート「タイオガ・ロード」もオープンし、ハイカントリーにあるキャンプ場も営業を開始。(雪の多い年はオープンが7月にまでずれ込んむこともある。)
  • 7月中旬〜8月
    ビジターも最盛期。渓谷は大混雑。日中の気温はかなり上がる。小さな滝は水量が減り、徐々に枯れてくる。
    草原ではさまざまな種類の花々が咲き乱れる。
  • 9月上旬〜
    Labor Day(9月第1土曜)を境に公園は秋シーズンに入る。レンジャープログラムの規模は縮小。こども向けのプログラムはなくなる。渓谷の滝の水量もかなり減り、年によってはヨセミテ滝も9月上旬に枯れてしまうこともある。
  • 10月
    ハイカントリーのキャンプ場は営業終了。レンジャープログラムもかなり規模縮小。
    しだいに紅葉の時期。10月中旬にハーフドーム頂上にアプローチするワイヤーケーブルが取り外される。
  • 11月中旬〜
    冬シーズンに入る。初雪もこのころ。カリービレッジにはスケートリンクができる。(3月まで)
  • 12月〜3月
    本格的な積雪期。道路も閉鎖区間が多く行動範囲はかなり限定される。
    クロスカントリースキーが楽しめる。バジャーパスにはダウンヒルスキー場もオープン。この時期のヨセミテ渓谷は静かで美しい。
  • 4月〜5月
    春のシーズン入り。バジャーパスのスキー場の営業終了。徐々に道路もオープン。レンジャープログラムも少しづつ規模拡大。
    5月上旬にはヨセミテ渓谷内のDogwood(アメリカハナミズキ)が開花。
    5月中旬にハーフドーム頂上にアプローチするワイヤーケーブルが設置される。




ヨセミテ渓谷の気象データ

1月

4月

7月

10月

日照時間

3:57

7:38

9:34

6:45

晴天の日の割合

39%

70%

97%

81%

午後の気温(摂氏)

9

19

32

24

相対湿度

86%

69%

50%

64%

乾燥した日の割合

74%

80%

97%

94%

月間降水量(mm)

173

84

10

38

月間降雪量(cm)

64.5

11.4

—-

0.5



ヨセミテ渓谷(海抜1220m)の平均降水量と気温

降水量
(mm)

最高気温
(摂氏)

最低気温
(摂氏)

1月

161

8

-4

2月

168

13

-3

3月

149

14

-1

4月

84

18

1

5月

38

22

4

6月

13

27

8

7月

7

32

10

8月

2

32

10

9月

14

28

9

10月

43

22

4

11月

89

14

-1

12月

180

9

-3


(Yosemite Associationの資料による)

近代ヨセミテ年表

  • 1833     ヨセミテ渓谷に白人が初めて到達。シエラネバダ山脈を横断したJoseph Walkerのチームが「人間には超えられない1マイルを超える絶壁」に遭遇。
  • 1851     服従しないインディアンを追うべくJames Savage少佐の命令をうけたマリポサ大隊がはじめてヨセミテ渓谷に入る。
  • 1852     マリポサグローブのジャイアントセコイア群が鉱山試掘者によって発見される。
  • 1855     最初の旅行者がJames Mason Hutchingsをガイドとしてヨセミテ渓谷にやってくる。一行のなかにはThomas Ayresという画家がおり、最初のヨセミテ渓谷のスケッチを描いた。
  • 1856     センティネル・ロックの麓に「The Lower Hotel」がヨセミテ最初の建造物として建てられる。またヨセミテ渓谷への最初のトレイルがMilton & Houston Mann兄弟によって完成した。
  • 1859     C.L.Weedによってヨセミテ渓谷の最初の写真が撮影される。
  • 1864     ヨセミテ渓谷とマリポサグローブのジャイアントセコイア群が世界最初の州立自然公園として指定される。Florence Hutchingsがヨセミテ渓谷で最初の赤ちゃんとして誕生する。
  • 1866     Galen Clarkが最初の「ヨセミテの守護者」と名付けられる。
  • 1868     John Muirのヨセミテへ初めての旅。
  • 1871     8月29日、J.B.Tilestonがヨセミテの最高峰Mt.Lyellに登頂成功。
  • 1874     ヨセミテ渓谷への最初の道路the Coulterville Roadが完成、1ヶ月後にはthe Big Oak Flat Roadが完成。
  • 1875     George Andersonが初めてHalf Domeに登頂成功。最初の公立学校がヨセミテ渓谷に開校。
  • 1876     John Muirが書いた野放図な羊の放牧を警告する新聞記事が掲載される。
  • 1878     A.Harrisにより最初に公営のキャンプ場がヨセミテ渓谷にオープン。現在のアワニーホテルの近く。
  • 1890     ヨセミテが国立公園に指定される。しかしヨセミテ渓谷とマリポサグローブのジャイアントセコイア群はその範囲に含まれず、周囲の広大な地域が指定された。
  • 1891     ヨセミテ渓谷に最初の電話線が引かれた。
  • 1892     カリフォルニア州のFish and Game委員会によりマスがヨセミテの川に放流される。
  • 1896     銃器の国立公園内への持ち込みが禁止になる。
  • 1898     最初のパークレンジャーArchie Leonardがヨセミテに着任。
  • 1900     最初の(蒸気)自動車がヨセミテにやってきた。
  • 1907     Yosemite Valley Railroadが開通。
  • 1913     自動車の乗り入れが公式に認められる。
  • 1915     John Muir Trailの建設が認可される。
  • 1916     国立公園局が創立。Washinton B.Lewisが最初のヨセミテ国立公園管理事務所長として着任。
  • 1917     最初のハイシエラキャンプ、Tuolumne Meadows Lodgeが開設。
  • 1919     ヨセミテ渓谷に最初の飛行機が着陸。
  • 1928     ヨセミテ博物館がオープン。
  • 1934     Hetch Hetchy貯水ダムの水がベイエリアに送られる。
  • 1935     Badger Passのスキー場開発。
  • 1940     Ostrander Ski Hutが冬季に営業開始。
  • 1949     ヘリコプターによる最初の人命救助活動が行われる。
  • 1951     最初の飛行機によるマス放流が行われる。
  • 1954     ヨセミテ国立公園への年間訪問客がはじめて100万人を超える。1,008,031人を記録。
  • 1958     はじめてEl Capitanの絶壁の登頂が成功。
  • 1961     WawonaにPioneer Yosemite History Centerがオープン。
  • 1966     ヨセミテ渓谷の現在のビジターセンターが竣工。
  • 1967     ヨセミテ国立公園への年間訪問客がはじめて200万人を超える。
  • 1969     Wawona Tunnel Treeとして親しまれてきたジャイアントセコイアの大木が冬季の積雪によって倒れる。
  • 1970     無料シャトルバスのシステムが開始。
  • 1974     グレイシャーポイントからのハングライダー飛行が許可される。
  • 1976     タイオガロードが4月10日に夏期のオープン。これはもっとも早い記録。
  • 1980     The Yosemite General Management Planが策定。これは公園の最初の長期計画。
  • 1983     マリポサグローブのジャイアントセコイア群での最初の火入れが行われた。
  • 1984     ヨセミテが世界遺産リストに入る。
  • 1986     California Bighorn Sheepがヨセミテに再び放たれる。
  • 1987     ヨセミテ国立公園への年間訪問客がはじめて300万人を超える。3,266,342人を記録。
  • 1990     ヨセミテ国立公園指定100周年を祝う。8月に大規模な森林火災が発生。
  • 1993     Yosemite Concession Services Corp.がYosemite Park & Curry Co.に代わって公園内の営業活動を行うようになる。
  • 1995     ヨセミテ国立公園への年間訪問客がはじめて400万人を超える。4,101,928人を記録。ヨセミテ国立公園管理事務所長として最初の女性B.J.Griffinが着任。3月に大規模な崖崩れがハッピーアイル周辺で発生。
  • 1997     新年1月1日に「百年に一度」とも呼ばれる大洪水が発生。復旧工事のため3月14日まで公園は閉鎖となった。
  • (参考:”The Complete Guidebook to Yosemite National Park” Steven P. Medley)

“YOSEMITE ROAD GUIDE”とロードサイド・マーカー

“YOSEMITE ROAD GUIDE” & Roadside Markers



YOSEMITE ROAD GUIDE

公園内の道路を走っていると、「V5」とか「G5」というサインを見かける。これは「YOSEMITE ROAD GUIDE」というガイドブックに対応したロードサインである。
頭文字のアルファベットは
B ビッグオークフラットロード(120号線西)
G グレイシャーポイントロード
H ヘッチヘッチー・マザーロード
M エルポータル/マーセドロード(140号線)
O オールド・ビッグオークフラットロード
S マリポサグローブ
T タイオガロード(120号線東)
V ヨセミテ渓谷
W ワワナ・フレズノロード(41号線)
数字は各ポイント順につけられている。眺望ポイント、川、森、キャンプ場、草原、トレイル入口などさまざまである。
このガイドブック「YOSEMITE ROAD GUIDE」の入手はビジターセンターやギフトショップで。クルマでヨセミテに出かける人はこのガイドブックで楽しさが2倍になるはず。3ドル5セント。


山火事?

Fire Management


マリポサグローブでのマネジメントファイア

 ヨセミテでは時折、自然発火による山火事が起きる。1990年には大規模な火事がおこり、そのため国立公園は夏シーズン中長期にわたって閉鎖され、一般客は立ち入れなかった。いまでもそのとき焼け焦げた森をヨセミテ渓谷からクレーンフラットに向かう道路沿いにみることができる。(余談だが、一説によるとその夏はビジターのいないヨセミテ渓谷では在庫していた食料が食べ放題だったとかで、いまでも関係者の間で「あの夏は最高だった」と語り草になっているらしい。)
  当初国立公園管理事務所では山火事の消火作業を行っていた。しかし最近では自然のなかでの山火事の役割が知られるようになり、逆に森に人工的に火を入れる作業「ファイア・マネジメント」を行い、また自然発火による火災も力ずくで消火するというよりも、燃焼範囲を管理するようになっている。
 火事が時折起こることで森の中に日光が入り、樹木の世代更新が促進されることが、森の健康を保つことにつながるのである。また何十年も火事のない森には乾燥した枯れ枝等が蓄積し、いったん火がつくと手のつけようがない大規模で壊滅的な火災に発展する可能性がある。
 ジャイアント・セコイアの樹は、種の発芽に熱が必要不可欠(山火事の熱で松ぼっくりのかさが開き、中の種子がはじけて飛ぶ)であることも研究によって明らかになっている。また黒く焼け焦げた幹は樹皮が周囲から発達して被い、焼け焦げた部分を自分で治癒してしまうという、まさに「山火事と共生する樹」であることがわかったのである。
このような理由から、公園管理事務所では10年に一度位のローテーションを組み、公園中の森に定期的に森に火を入れる作業を行っている。
 眺望のきくところでは、空に煙がたちのぼっているのを見かけることがあるかもしれない。それはたいていマネジメントファイアによる煙だ。グレイシャーポイントでは、「MANAGEMENT FIRE,DO NOT REPORT(見えている煙はマネジメントファイアだから、通報しなくていいよ。)」という標識が上がっていることがある。さらにその説明と作業エリアの地図まで掲示してあり(左写真)、公園管理事務所の仕事内容を理解してもらうという姿勢が見える。
 ジャイアントセコイアの森、マリポサグローブで偶然にもファイアマネジメントの作業現場に遭遇したことがある。立入禁止にもすることなく、トラムの通る道沿いの樹からも炎が上がっていた。もちろん国立公園局の消防車が待機しており、仮設プールに大量の水を貯め、燃え具合を消防士(女性もいた)が顔を真っ黒にしながら管理していた。ふだんはビジターが目にすることのない風景だが、国立公園を裏からささえる役割の大変さと大切さを感じた。