[3.7] ヨセミテ国立公園:境界変更(1905年)

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1890年10月1日、ヨセミテ国立公園が制定されてから、ヨセミテ渓谷及びマリポサグローブを除くヨセミテ一帯は、連邦政府により保護・管理されることになりました。この法律は、内務省長官が管理の為のルールや規定を作ることを定めており、当時の内務省長官Nobleは、軍隊を用い、伐採、放牧などの取り締まりをさせることを決めています。早速サンフランシスコのGolden Gate BridgeそばのPresidioに駐屯している騎兵隊は、5月〜10月の間Wawonaに本部を置き(ヨセミテ渓谷が連邦に返還される1906年まで)、ヨセミテをパトロールすることになります。最初のヨセミテ公園長(代理)に任命(1891〜1892)されたのは、第四騎兵連隊I-中隊の指揮官Abram E. Wood大尉でした。ヨセミテに入った騎兵隊は、早速判然としない公園の境界問題に直面します。特に西側の公園内には、かなりの数の私有地が存在し、パトロールをかなり困難なものにしました。また放牧者らも、私有地を使い、公園内へと簡単に侵入してきました。Wood大尉は1891年度の内務省長官への報告書で、公園内に含まれる私有地が65,000エーカーにも及び、さらに300もの鉱山の採掘権が許可されていることを指摘しています。そして、公園の規模が小さくなるものの、分水嶺や、川などで新境界を指定することにより、私有地を公園からほとんど除外でき、パトロールが簡単になると述べていました。また連邦議会では、Camminetti議員らにより、境界変更の法案を通す試みが行われましたが、シエラクラブの反対運動によって、成立しませんでした。
1903年、ヨセミテ国立公園内に広大な私有地を持つYosemite Lumber Companyが公園内で伐採を始めると、ついに連邦議会も境界問題にアクションをとり始めます。連邦議会は調査に$3,000の予算をあて、1904年4月28日、内務省長官Ethan Allen Hitchcockに、ヨセミテの境界に関してどの区域が公園として不必要か調査するよう指示します。6月14日、Hitchcock長官は陸軍技術部隊のH. M. Chittenden少佐、USGSの地形図作成係Bob Marshall、内務省Genaral Land Officeの地図課Frank Bondをメンバーとする、境界に関する委員会(Federal Boundary Commission)を設立しました。委員会は6月24日にWawonaに到着し、公園の調査を開始しました。7月9日にはHetch Hetchyを含む主要な地点のフィールド調査を終了、その後サンフランシスコで関係者らの意見を聞きます。7月2日にMuirは、Chittendenから、会って意見を聞きたいという手紙を受け取ります(実際Muirが委員会と会ったのかは資料がなく、不明です)。8月23日には、Muir、LeConte、Colbyらにより、Mercedグローブも含んだ公園南西部の3区画を削除し、東側には現在のTioga Pass(鉱山を含む)、June Lake、Mammoth Lakes付近(同じく鉱山を含む)に区画を追加するという対案書が作成され、委員会に送られました。さらにColbyは28日にChittenden宛に、公園内には多くの採掘権があるものの、それらはほんのわずかばかりの土地しか占めていない。ならば、ある制限のもとで、公園内でそにまま採掘させるのは可能ではないか。その方が、すばらしい景色を楽しめる大きな公園区画を失うよりは良いのではないかとも書き送っています。
公園内の私有地の買い上げも考慮されましたが、評価額は$4Mにも及び、連邦がそのような予算を捻出するのは不可能であること、さらの鉱山の採掘権の問題もあり、最終的な委員会の提案は、新しいヨセミテ国立公園の新境界を、北・東、そして南の境界はTuolumne及びMercedの水系で囲まれ、西側は、ほぼGLOの測地境界とするものでした。シエラクラブとしては不満だったものの、何故か反対運動はしませんでした。12月5日のHitchcockによる議会への最終報告に基づく法案:”An Act to Exclude from the Yosemite National Park, California, certain lands therein described, and to attach and include the said lands in the Sierra Forest Reserve”(H.R. 17345)は議会を通過し、1905年2月7日にRoosevelt大統領によってサインされました。これによって、ヨセミテ国立公園は総面積を1,512平方マイルから1,082平方マイルの約2/3に縮小され、現在とほぼ同じ形状の境界線を持つことになりました。しかしヨセミテ渓谷とMariposa Groveは依然カリフォルニア州のもので、公園内には22,000エーカーの私有地が残されていました。
地図:黄色は1890年に決められたヨセミテ国立公園の境界。白はChittendenらのヨセミテ境界調査委員会が提案し、採用された1905年の新境界。ヨセミテ渓谷、Mariposa Groveは、依然州の所有地。西側の突起は、Tuolumne、Merced Groveを含む地帯。シエラクラブの対案は、1890年の境界から南西の区画を削り、東側に3区画を付け足すもの。
話の流れは[3.3] [3.4] [3.5] [3.6]を参考にしてください。


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