• カテゴリー別アーカイブ アート
  • Lyell Camp :1872

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    William Keith, Mt. Lyell, 1874 , Oil on Canvas (1872年スケッチ、頂上は見えていません) Hearst Art Gallery, Saint Mary’s College
    John Muir Conferenceという4年に一度行われる会合が、StocktonのUniv. of the Pacificで開かれたので、聞きに行きました。午後には、スコットランド出身の親友の画家William Keithについての話があり、いくつかの絵の展示や、スライドショーがありました。写真はそのうちの絵の一枚で、1872年10月、Lyell渓谷のキャンプ地でのスケッチに基づいて描かれたものです。MuirはCarrの紹介を受けて訪ねてきたKiethらを引き連れ、ヨセミテ渓谷からCathedral Pass、Tuolumne Meadowsを越え、Mt. Lyellの麓(絵)に達します。そこで初めてKeithらは風景のすばらしさに感動します: 
    ”At length, toward the end of the second day, the Sierra Crown began to come into view, and when we had fairly rounded the projecting headland before mentioned, the whole picture stood revealed in the flush of the alpenglow. Their enthusiasm was excited beyond bounds, and the more impulsive of the two, a young Scotchman[註:Keithのこと], dashed ahead, shouting and gesticulating and tossing his arms in the air like a madman. Here, at last, was a typical alpine landscape.” 
    Muirは画家たちをそこに残したまま、単独でMt. Ritterの(初)登頂を目指しました:
    ”They decided to remain several days, at the least, while I concluded to make an excursion in the mean time to the untouched summit of Ritter.” 
    「Mountains of California」の「A Near View of the High Sierra」の章より。


  • オバタ・レイク

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    Obata Lake
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    先日のJohnson Peak登頂のハイキングで、密かに楽しみにしていたのが「オバタ・レイク」です。
    Tuolumne Meadowsの南方、Johnson Peakの麓には無名の湖が2つありますが、そのうち奥の湖が関係者の間で「オバタ・レイク」と呼ばれています。チウラ・オバタ(小圃千浦)が1930年に描いた「Lake Basin in High Sierra」の湖がこの湖だといわれています。
    この絵はY.A.の発行する「Obata’s Yosemite」にも掲載されています。

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  • 杉山真理+きむらけい WILD LIFE ART

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    大阪の「茶屋町画廊」にて本日12月13日から25日まで、「杉山真理+きむらけい WILD LIFE ART」が開催されています。
    杉山真理さんは「ハーフドーム・ハイカーズクラブ」のmariaさんです。

    杉山真理+きむらけい WILD LIFE ART −偉大な北米大陸の風景と動物達−
    ( 写真、絵画 / 二人展 )
    Mari SUGIYAMA & Kei KIMURA
    WILD LIFE ART
    Landscapes and Wild Animals of Great North American Continent
    (photograph, painting / duo)
    詳細は「茶屋町画廊」のHPをご覧ください。


  • アンセル・アダムス

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    アンセル・アダムス(1902-1984)
    1902年、サンフランシスコに生まれる。1916年、14歳のときに初めてヨセミテを訪問。以後、この「光の山脈」に魅せられて写真家の道を歩むようになる。1920年夏、ヨセミテ渓谷内にある、ジョンミューアが設立した環境保護団体「シエラ・クラブ」のルコンテ・メモリアル・ロッジの管理人になり、毎年夏にヨセミテを訪れるようになる。
    1930年代からはプロの写真家としての評価を得て活躍するようになり、ヨセミテをはじめ、アメリカ各地の国立公園を巡って精力的に撮影を行って、雄大な自然、自然の尊厳や奥深さをモノクロームの深い味わいのある写真によって描写し、表現しつづけた。
    半世紀以上にわたってシエラクラブの主力メンバーとして活動し、ときの大統領をはじめ、政府関係者、国立公園関係者に数多くの手紙を送って、自然保護政策に影響力をもちつづけた。
    ヨセミテ・ヴィレッジにある”Ansel Adams Gallery”は、彼が長年に渡って使用したスタジオである。
    また彼の功績をたたえて、ヨセミテ国立公園の東端にある11,760ftのピークはMt.Ansel Adams、そこに隣接した国有林エリアは”Ansel Adams Wilderness”(アンセルアダムス野生保護区)と名付けられている。
    代表作(写真集)
    「Our National Parks」
    「Yosemite」
    「California」
    「Americas Wilderness」
    「Yosemite and the High Sierra」
    関連WEB
    Ansel Adams Gallery


  • Art Activity Center

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    ヨセミテはどこを向いてもスケッチしたくなるような景色だらけです。ここArt Activity Centerではスケッチブックや色鉛筆などの簡単なものから、本格的な油絵まであらゆる画材が購入できます。ヨセミテに到着してから思い立っても、「にわかアーティスト」に変身できるのです。
    ここでは春から秋にかけて、水彩や油絵などのアーティストを招いて講座も行っています。
    ヨセミテヴィレッジ内、ストアの南側にあります。


  • Galen & Barbara Rowell

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    ヨセミテの写真といえば、AnselAdamsが有名ですが、Galen&BarbaraRowellの色彩感覚にも素晴らしいものがあります。
    ヨセミテの東側395号を南下したビショップの街の『MountainLightGallery』で、Galen&BarbaraRowellの写真が展示販売されております。もちろん、見るだけなら無料です。
    Galen&BarbaraRowellは、ヨセミテやシエラネバダの写真も多数撮っており、いつも見慣れたヨセミテのあの風景、その息を呑むような一瞬の、とてつもなく美しい映像に驚かされます。
    HP上でも参照できますが、やはり実物を御覧になる事をお薦めいたします。
    http://mountainlight.com


  • 小圃千浦とヨセミテ

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    Chiura Obata and Yosemite




    小圃千浦「ヨセミテ、宵の月」1930



     チウラ・オバタ(小圃千浦/1885-1975 カリフォルニア大学バークレー校名誉教授)は戦前からヨセミテを日本画で描きつづけた画家である。ヨセミテへのスケッチ旅行をきっかけに認められ、カリフォルニア大学バークレー校の美術部教授を務めるが、第二次大戦中は不幸にも日系人強制収容所へ拘留されてしまう。しかし生きる希望を失わず、収容所内で美術学校を開き、ここからその後多くの日系人アーティストを輩出することになる。
     チウラは岡山に生まれ、仙台で美術教師をしていた兄六一の養子となり仙台で育つ。14歳で家出し東京で邨田丹陵(むらた・たんりょう)の弟子となり、3年後若干17歳で日本美術院正会員になるが、1903年18歳で単身渡米する。サンフランシスコで舞台美術や邦字紙のイラストなどで生計を立て、1912年には妻ハルコと結婚する。1927年カリフォルニア大学バークレー校の美術部教授ワース・ライダーにヨセミテ渓谷へのスケッチ旅行に誘われたことが、チウラの大きな転機となった。(この仲間の中には写真家アンセル・アダムスもおり、ふたりは親友となる。)
     チウラはシエラネバダ山中にキャンプし、2ヶ月間魔物にとりつかれたように制作に打ち込み、150枚ものスケッチを描いた。バークレーに戻り、ライダー教授により大学で日本画デモンストレーションの機会を与えられるが、多くの学生が押し寄せたため、チウラは大学の講義をもつようになる。
     同年個展「ヨセミテ・シリーズ」を開催し、大きな評価を得るようになる。その後日本でも浮世絵版で有名な高見澤商店による木版画で「ヨセミテ・シリーズ」を出版している。
     1941年日米は開戦。西海岸では日系人11万人が適性外国人と見なされ、強制収容所へ送られた。チウラもタンフォラン収容所に送られるが、「いかなる状況下にあっても、教育は食糧同様に重要だ。なかでも芸術は、もっとも建設的な教育だと信じる。」との信念のもとにミネ大久保、日比松三郎・久子夫妻などとともに「タンフォラン美術学校」を収容所内に創立した。同美術学校には6歳から70歳以上、600人もの人たちが受講したという。その後トパズ収容所に移り、そこでも美術学校を開校する。
     終戦後チウラは大学に復職、バークレー校で名誉教授となる。その後の人生は日本の自然と文化をアメリカ人に紹介することに捧げ、また毎年ヨセミテでのキャンプとスケッチは欠かさなかった。
     ヨセミテの大いなる自然はチウラのアーティストとしての感性をさらに磨き、また生きる希望を与えたといってもいいだろう。
     チウラの孫娘Kimi Kodani Hillはバークレー市内に住み、チウラの作品を散逸から守り管理している。画集「Obata’s Yosemite」(1995,Yosemite Association発行)の発刊にも尽力し、現在は同会の理事として活躍中である。このファミリーは4世代にわたってヨセミテに通いつづけ、キャンプ&ハイキングを愛する素晴らしいひとたちだ。
     またいま、カリフォルニア大学バークレー校植物園にはチウラとハルコ・オバタ夫妻を記念した日本庭園とゲートがある。(写真は1942年タンフォラン美術学校で教えるチウラ)

    (参考:下嶋哲朗「アメリカに生きた日系人画家たち〜希望と苦悩の半世紀1896-1945」日本テレビ放送網1995)
    参考WEBサイト
    The Great Nature of Chiura Obata


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