Time and the Tuolumne Landscape

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Tuolumne MedowsおよびHigh Sierra付近で1900年代初頭に撮られた写真(主にG. K. Gilbertが撮影)と、同じ撮影場所から80〜90年後に撮った写真の二つを並べ、地勢・植生・人為の影響(車道・ダム・建造物)を比べた写真集です。岩山等に変化は見られませんが、積雪量、植生、そしてメドウなどでの川の流れの違いにはかなり驚かされます。過去の写真と合わせるため、すべてモノクロが使われています。各写真の解説も読んでいて興味深いものがあります。
Time and the Tuolumne Landscape: Continuity and Change in the Yosemite High Country
Thomas R. Vale and Geraldine R. Vale著
総200ページ強
出版社: Univ of Utah Press
ISBN: 0874804299

The Range of Light

“Then it seemed to me the Sierra should be called, not the Nevada or Snowy Range, but the Range of Light.” John Muir
Sierra Nevada」[英訳:The Snowy (Mountain) Range]という単語は、1776年、サンフランシスコ湾付近から、その山々を遠望したスペインの伝道師Pedro Fontによって、初めて地図に記されました。1890年、MuirはCentury誌に投稿した記事「The Treasures of The Yosemite」(8月号)の中で、自分にとっては「Sierra Navada」は「Snowy Range」ではなく「The Range of Light」と呼ぶべきだと書きました:Then it seemed to me the Sierra should be called, not the Nevada or Snowy Range, but the Range of Light[1]。 「The Range of Light」がMuirによる造語なのかどうかは定かではありませんが、このフレーズは、その後のMuirの著書「The Mountains of California」(1894年)、および「The Yosemite」(1912年)でも使われています[2][3]。本人によれば、「The Range of Light」という表現は、初めてヨセミテを訪れた1868年に、San Joseの南東Pacheco Pass(CA152号上)からSierra Nevadaを望んだときに思いついたと説明しています[註]。また1911年に出版された「My First Summer in the Sierra」[4]では、「The Range of Light」を使い、結びとしています:Here ends my forever memorable first High Sierra excursion. I have crossed the Range of Light, surely the brightest and best of all the Load has built; and rejoicing in its glory, I gladly, gratefully, hopefully pray I may see it again. 「The Range of Light」はもはや「Sierra Nevada」の代名詞です。ハイシエラで時を過ごすことにより、誰もが「The Range of Light」の表現のもつ奥深さを感じ取れることでしょう。

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DVD: The Greatest Good

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“…where conflicting interests must be reconciled, the question will always be decided from the standpoint of the greatest good of the greatest number in the long run.” Gifford Pinchot, Chief Forester, 1905
今年設立100年を迎えたUSDA Forest Service(FS)が作成した、3枚組のドキュメンタリーDVDセット(120分の本編ディスク+2枚のボーナスディスク付き)。1800年代半ば、開拓と共にアメリカから森林が失われていくときから始まり、1905年、Gifford Pinchotを初代長官とするForest Serviceが設立されるまでの経緯、その後100年にわたる、さまざまな森林管理に関する問題:森林火災、車の普及に伴うレクリエーションの増加、伐採、Wilderness Actに始まる自然保護、そしてエコシステムの理解が進むことにより変わりつつある管理方針など、を時代を追ってわかりやすくまとめている。勿論Hetch Hetchy問題に絡むMuirとPinchotの確執、National Park Service(NPS)とFSのライバル関係などにも触れられている。自画自賛に陥ることなく、批判も含めて冷静に歴史を書いた作品となっている。リージョンコードなし、英文サブタイトル付き。

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Hiking Yosemite NP

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2000年(4月)に出版されたHiking Yosemite National Parkですが、
今年6月出版の2ndエディションで内容がかなりグレードアップしました。
ヨセミテハイキング入門には初版でも十分な参考書になりましたが、
今回の版ではトレイルマップ、TOPOデータ、写真が一層充実しました。
定価は$15.00くらいしますが、なぜかamazon.comで$10.47とお手頃価格で売られています。
オススメの一冊です。

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The Yosemite Book

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1869年に、California Geological Survey(カリフォルニア地質調査隊、Whitney隊)のJosiah Dwight Whitneyにより書かれた「The Yosemite Book」は、当時最も権威のあるヨセミテに関する案内書でした(これは豪華版で、後に写真なしの普及版「The Yosemite Guide Book」が幾度か改定、再販されます)。副題”A Description of the Yosemite Valley and the Adjacent Region of the Sierra Nevada, and of the Big Trees of California”に示されるように、ヨセミテ渓谷とその周辺、そしてマリポサのセコイアについて紹介されています。序章では、ヨセミテ渓谷が州立公園となり、調査隊が測量をするに到った経緯、マリポサ大隊のヨセミテの発見以降の話、インディアンによる地名の呼び方等についてまとめられています。2章でアメリカ全土から始まりカリフォルニア・シエラネバダに到る地勢・植生が述べられたあと、ヨセミテ渓谷(3章)、ハイシエラ(4章)、そしてBig Tree(5章)についてかなり詳しく書かれています。学者の書いた本で、かなり堅苦しいところもありますが、まだ地図の空白部が残る頃のヨセミテを知る貴重な一冊です。250冊しか刷られなかったこの本は、出版時の価格が10ドルという高価本で、現在では1万ドルを軽く越えるオークション価格が付いています。OctavoのCD本(写真)はJim Snyder(ヨセミテ国立公園の史家)のかなり興味深い前書きや、Carleton WatkinsとW. Harrisの写真や地図を含む原本の全ページの超高解像度写真が付いており、古地図・モノクロ写真に興味のある方にとってはお勧めしたいアイテムです。
Whitney隊の関連本として、メンバーのWilliam H. BrewerとClarence Kingが書いた二冊が挙げられます。「Up and Down California in 1860-1864」を書いたBrewerはWhitney隊の初期メンバーで、彼の本は1860年から1864年にわたる調査行の日記集です。ヨセミテに関しては、1863年の6−7月に、HoffmannとともにBig Oak Flatからヨセミテ渓谷に測量に入り、その後Mt. Hoffmann、Mt. Danaなどの登頂やSoda Springsを拠点として行ったTuolumne Medows一帯での調査、そしてBloody Canyonを下りMono Lakeへとぬけた時のことが書かれています。
一方Kingは、その著書「Mountaineering in the Sierra Nevada」の”Around Yosemite Walls”及び”A Sierra Storm”の章で1864年秋のヨセミテにおける体験を書き綴っています。エール大を卒業してから1年ほど経ったClarence KingとJames Gardnerは、1863年8月末にSacramentoでBrewerに合流します。そして翌年彼らは南シエラでの測量(Mt. Brewer、Mt. Tyndallの登山を含む)を終えた後、Gardner、Cotterらを伴いヨセミテ渓谷を訪れます。目的はヨセミテ渓谷がカリフォル二アに譲与された事を受け、その境界の測量を行うためでした。この二章は、Mt. HoffmannやYosemite Creek、ノースリム一帯での登山、ヨセミテの最初の冬の嵐からの脱出について書かれています。この本は、現在ではMuirのRitter登山記とともにシエラ登山記の古典となっています。

Historic Resource Study: Yosemite

20050802.jpg1987年に、Linda Wedel Greeneによってまとめられた1,200ページを越えるこの本は、内務省から発行されたヨセミテに関する百科事典とも言えるでしょう。有史以前のネイティブアメリカンの生活の調査に始まり、ヨセミテの発見、マリポサ大隊による探査、州立公園の設立、国立公園の設立、道路・トレイル網の設備、渓谷の国への返還、公園内の私有地、騎兵隊による管理、NPSの設立、開発・観光化等と、1970年代にいたるまでのありとあらゆる情報がまとめられています。添付されている地図、写真を見るだけでも価値があります。NPSより3本のPDFファイルとしてダウンロードができます。

Yosemite環境問題の本

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環境問題関係の本を二冊ほどご紹介します。まずはAlfred Runteの”Yosemite”。ヨセミテ国立公園ができてから終わることなく続く、保護と利用に関する論議についてまとめた本です。最近話題になった”Needle-Miner”によるLodgepole Pineへの被害の対策すら、するかしないかで過去に論議があったようです。NPSのWebsiteからダウンロードできます。
もう一冊はHetch-Hetchyダム問題に関する専門書です。ダムに没する前のHetch-Hetchy Valleyの話(当然Muirがでてきます)、サンフランシスコの水問題、賛成派と反対派の論争、そして連邦議会での論議、建設の話などが、中立の立場で非常に詳しく書かれています。意外なことに、当時のダム化反対主派(Sierra Club)は、Hetch-Hetchy Valleyにホテルやレストラン等を作り、さらにはTuolumne Meadowsへと続く道路建設(Colby Brief)を考えていたそうです。貴重な数々の写真とともに、1世紀近く前の興味深い環境論争が伺えます。
[1]Alfred Runte, “Yosemite, The Embattled Wilderness”,University of Nebraska Press, ISBN 0-8032-3894-0
[2]Robert W. Righter,”The Battle Over Hetch Hetchy”,Oxford University Press,ISBN 0-19-514947-5

The Yosemite: Galen Rowellの写真集

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Galen Rowellの写真集「The Yosemite」は、John Muirのオリジナル「The Yosemite」の文章と、Rowellの撮影した写真とを組み合わせて作られた写真集(本)です。元ヨセミテクライマー・登山家ならではの、意外な視点、時間、季節、場所で撮影された、素晴らしい写真が使われています。また写真だけでなく、(かなり長いですが)イントロダクションや各写真に書き足された解説もなかなか味があります。ヨセミテ土産お勧めの一冊です。
ISBN 0-87156-653-2

Missing in the Minarets

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1933年7月末、サンフランシスコの若手弁護士Peter Starr(Walter A. Starr Jr.)は、単独で2週間のシエラネバダへ探査に出かけました。当時Peterは完成したばかりのJohn Muirトレイル、及びシエラの山々のガイドブックを作っていました。8月7日に、パリセード山群近くのGlacier Lodgeで待ち合わせをしていたPeterの父Walterは、予定日を数日経ってもやってこない息子に何かが起きたと確信し、捜索願いを出しました。やがて、Peterの車がMammoth Lakes近くのAgnew Meadowsで発見されます。目撃証言から、Peterが付近で遭難した可能性が高まります。そして、Ediza Lakeをベースキャンプにし、Ritter-Banner-Minaret山群で、当時の有名な登山家Norman ClydeやEichorn、Dawsonらも含む大規模な捜索が開始されました。PeterがMt. Ritterに残したメモや、アイゼン、ピッケル、カメラなどがベースキャンプそばで見つかったものの、Peterの行方は依然わからず、やがて捜索は打ち切られることになります。Norman Clydeは、あきらめずただ一人山に残り、単独でMinaret付近での捜索を続け、ついに8月25日にPeterの遭難現場を発見しました。そして、そのニュースはメモリアルサービスを準備中のStarr家に、当日夜遅く伝えられました。
当時の(綺麗な)モノクロ写真、関係者へのインタビュー、詳しい調査に基づいて書かれたドキュメンタリーです。山の遭難というと暗いイメージが思い浮かびますが、そのような感じを全く与えない、すばらしい本に仕上がっています。遭難から一年後、Peterの遺稿は父Walterの手により仕上げられ、”Starr’s Guide to the John Muir Trail and the High Sierra Region”として発行され、その後多くの人々に愛用されるようになりました。
Missing in the Minarets
The Search for Walter A. Starr, Jr.
William Alsup著
Yosemite Association出版
ISBN: 1-930238-18-5 (softbound)
ISBN: 1-930238-08-8 (hardbound)