ヨセミテへ


 「昼食のあと、私は急いで近くの高い場所へ行ってみた。そしてインディアン・キャニオンの西側の尾根の上から雄大な山なみを楽しんだ。それはすばらしいものだった。眼下にはメルセッドの谷の上部が開けており、さらに崇高なドームと峡谷が続く。上に広がるうす暗い森、そして空に向かって鋭くそびえ立つ輝く山頂が見えた。すべての姿は光り輝き、そして周囲に放たれる美しさはまるで炎から出る熱線のように私の肉と骨に流れ込んだ。日の光がすべてを圧倒していた。垂れこめた静けさを破る風のそよぎはない。
 こんなにものすごい景色を、こんなにもはてしなく豊かで崇高な山々の美しい姿を、私はかつて見たことがなかった。」

「はじめてのシエラの夏 」ジョン・ミューア著・岡島成行訳/宝島社


 ヨセミテへの二度目の旅を終えて、あらためてこの本を読み返しています。ジョン・ミューアが1868年にはじめてこの地を訪れて、すでに130年もの歳月が過ぎているにもかかわらず、ヨセミテ渓谷はその間変わることなく光り輝いて、まるで神さまの手のひらのように訪れる私たちを包み込んでくれました。
 今年は思い切って丸一日かけてハーフドームに登り、その頂に立ちました。トレイルの途中知り合った世界のあちこちの仲間達とお互いに健闘を讃えあって、ここはただの「ナショナル・パーク」を超えた「インターナショナル・パーク」なんだと思いを強くしました。(西村仁志 1996.9)

ヨセミテヘ


 アメリカ、カリフォルニア州にあるヨセミテ国立公園は、東京都の1.5倍もの広大な面積のなかに、氷河が削り取った大渓谷、巨樹ジャイアント・セコイアの森、高原地帯など多様な環境をもち、アメリカ自然保護の父とも 呼ばれるジョン・ミューアが滞在し活動していたことから、アメリカの自然保護のふるさととも言える聖地であり、世界遺産にも指定されている。
 「ヨセミテへ行ってみたい。」そんな気持ちになったのは、日本環境教育フォーラム/清里ミーティング’94で河合佳代子さん(元キープ協会環境教育事業部レンジャー)の話を聞いたのがきっかけだった。彼女はその年の 春から夏にかけて3ヶ月間、ヨセミテで国立公園レンジャーとして働いた経験をスライドをまじえながら興味深く紹介してくれたのである。 当時、ちょうどある旅行会社から「海外自然体験ツアーを企画しませんか。」との申し入れもあり、「そりゃ、ヨセミテに行くしかない。」とさっそく彼女を巻き込んでツアーを企画することにした。 とはいえ、佳代ちゃんは新潟、私は京都ということで、二度会って打合せができた他は、ファックス、電子メール、電話のやりとりで企画をつめた。
 佳代ちゃんの紹介でアメリカにリソースを得られたのも幸いした。キミ・コダニ・ヒルはバークレー在住の日系3世の女性。彼女は幼少のころから家族とともにヨセミテに出かけ、キャンプやトレッキングを楽しんできた。 彼女の祖父チウラ・オバタは今世紀はじめ若くして渡米した日本画家で、スクールボーイや日系新聞の挿絵画家として働いた後、ヨセミテへのスケッチ旅行で描いた絵が認められ、のちにUCバークレーの美術の教授になった人物である。つまり彼女のファミリーは戦前から3世代にわたって(彼女の甥までいれると4世代)ヨセミテと縁が深い一家なのだ。
 いろんな方面に呼びかけて人数的にもなんとか集まり、1995年9月「ヨセミテ国立公園の大自然に触れる旅」第1回ツアーが関西空港から出発。サンフランシスコでキミとも合流して、一路バスでヨセミテに向かった。 マーセド川の渓谷がしだいに険しくなり、巨岩が現れるたびに車中からどよめきの声が上がる。国立公園ゲートには佳代ちゃんの同僚だったレンジャーがいて、感激の再会シーンも。 ゲートを越え、いよいよバスは渓谷内に入る。1000mを越える高さの一枚岩エル・キャピタン、ブライダルベールフォール(花嫁のベール滝)、落差700mのヨセミテ滝、そしてハーフドームが車窓から見えると車内の興奮は 最高潮に。「4日間もいるんやから、そんなに焦って写真をとらんでもエエんとちゃう?」でもそれが悲しい習性。

 夕方には宿泊先のヨセミテロッジから、佳代ちゃんのとっておきのポイントへ皆で散歩。ここは夕陽に染まるハーフドームが草原越しに眺められるところ。何もせず座り込んで、刻一刻と暮れていく空と、輝くハーフドーム にうっとりとする時間は最高にリッチなひとときだった。
 キミは19のときにジョン・ミューア・トレイル(ヨセミテからシェラネバダの山中を340Km、セコイア&キングスキャニオン国立公園まで続く原生自然歩道。バックパックを背負って一ヶ月近くかけて歩く。)を踏破したと いう健脚の持ち主。キミがガイドしてくれたポイントからのハイシェラの眺めは、白く輝く山々、森、青々とした水をたたえた池があるすばらしいものだった。
 翌年2回目のツアーでは、思いがけず一人でハーフドームに登ることになった。「思いがけず」というのは、最初ミストトレイル(滝の飛沫で霧がよく発生することからこの名がついた。)でヴァーナルとネバダの二つの滝をめぐり、滝の上で昼寝でもしようと思って、早朝にひとりで出発したのである。グループだとペースの違いから、かえって無駄な体力・時間を消費するような気がして、ツアー同行者を誰も誘わないで一人で出かけたのである。
 同じバスを降りて、歩き出した連中(話してみないと国籍はわからない)と喋ってみるとほとんど皆ハーフドームに登ると言う。ペース的にも連中とそう変わらないし、ネバダ滝で飲料水の量を見極めて、「行ける」と判断 しハーフドームを目指すことにした。
 暑いし、息は上がるし何度も休憩する。何人かが「お先に」と抜いていく。休憩を終えてしばらく登ると、さっき私を抜かしていった人たちが休んでいる。にっこりと笑って抜かしていく。こんなふうにお互いを認め合っていく。次には同じところで一緒に休憩することになった。「どこから来たの?」短パンで元気のいい女性はドイツの人。ちょっとインテリ風の男性はベルギー人。サンフランシスコ発の1ヶ月キャンピングツアーに参加している人たちだった。このグループの東洋人(国籍不明)の人とお互いカタコトの英語で喋っていたら、だいぶたってからお互い日本人と判り苦笑した。

 しばらく登ると今度は、ピチピチのティーンエイジャーの女の子のグループと抜きつ抜かれつの関係になった。先生らしい人が数人いてあれこれ指示をしていることから、学校のグループだなとわかる。そのなかでもいかにも頼もしそうな女性教師と話してみると、Yosemite Institute(ヨセミテ自然学校=学校団体を宿泊型で環境教育体験学習をさせるNPO)のインストラクターだった。途中に一泊キャンプ体験ののち、ハーフドームまで登るという 、日本のコギャルどもには想像もつかないプログラムだ。
 おもしろい法則を発見した。「ヨセミテではトレイルの高度を上げるほど、美人に出会う確率が高くなる。」信じる人も信じない人も登って確かめてみてほしい。
  ハーフドーム登頂のハイライトは、最後のロッククライム。梯子がつけてあるものの、斜度はおそらく50度近くあるところを数百メートル登る。同じ梯子を上から降りてくる人とも行き違う。上から人間が降ってきたら避けようもない。久しぶりに味わう「ケツの穴も しぼむ」体験。
 さて頂上では、途中一緒だったいろんな国々の人たちとも再会し、お互いの健闘をたたえあう。壮大なヨセミテ渓谷を上から見下ろして、ここはナショナル・パークを超えた「インターナショナル・パーク」なんだなと実感した。

シエラネバダ〜光の山々へ 1998年夏

写真と文・西村仁志

グラニットレイク
四回目となるヨセミテへの旅は、ぜひ一度体験したかったツォロミー草原でのキャンプとハイシエラへの山行でした。ツォロミーはヨセミテ・ヴァレーからさらに1400mも高く、ヨセミテ国立公園の奥座敷ともいえるところ。これまでも毎年日帰りで訪れていたところですが、今年ついにそのチャンスがやってきたのです。
 昨年9月ヨセミテの帰りにバークレー在住のキミ・コダニ・ヒル(彼女には1995年の最初のヨセミテツアーでガイドをつとめてくれた。)の家を訪問したときに、「こんどツォロミーでキャンプするときは声をかけてほしい」と頼んでおいたところ、朗報は忘れた頃にやってくるというのは本当で、今年5月に「キャンプ場予約するけど、行く?」という知らせがやってきたのでした。(頼んだ本人は忘れていたのに、よく憶えていてくれたもの)日程は8月上旬。8月2日(日)に彼女が国立公園局のボランティアとして彼女の祖父チウラ・オバタ(故人。1927年に初めてヨセミテをスケッチ旅行し日本画で描いた。UCバークレー名誉教授。)についてのスライド&トークをツォロミーで行うので、その前後7日間をキャンプしようということでした。その時期はカラーズの仕事も夏のシーズンで書き入れ時の頃とは知りつつ、ツォロミーの誘惑には勝てず、「行く」と返事をしてしまいました。
 飛行機のチケットも手配し、テント、シュラフ、ストーブなど普通の海外旅行ではいらないキャンプ道具を、でかいスーツケースに一式詰め込んで7月31日関西空港から出発したのでした。
7月31日(金)
 思いがけず飛行機の席はビジネスクラス。満席なのでこちらにまわされたのだと思うが、毎回お願いしたいもの。サンフランシスコ国際空港からはエアポートシャトルでバークレーへ。約1時間でキミの家に到着。まずは休憩だが翌日早朝出発なので準備も欠かせない。アウトドア用品の巨大ストアREIに行き、燃料と暖かい靴下を仕入れる。スーツケースはここに置かせてもらい、ザックに詰め替える。
8月1日(土)
 キミのお父さんユージンを乗せて10:00出発。快晴。ハイウェイ580から120。カリフォルニアの大農業地帯を横切り、シエラの山々にさしかかると延々と上りが続く。年代物のトヨタカムリはちょっと息切れ気味。途中Grovelandのピクニックエリアでランチ。結局15:00すぎだから5時間かかってツォロミーに到着。国立公園入園料はキミがボランティアということもあって無料だった。
 キャンプ設営。キミの友人たちベッシー、フローレンス、ローズマリーとあう。サクラメントから来たベッシーの弟ジミーと息子二人ベリーとケイシーも一緒。総勢9名の大所帯。
 夕食はみな一緒に。ベッシーは食料をたくさん持ってきているので御馳走になる。
 18:30からレンジャープログラム「Music Walk」に参加。これはわが日本の環境教育業界でも伝説のプログラム。オーケストラに所属していたレンジャー、マーガレットのフルートを聴きながらサンセットを見る。最高!。
 夕方から高山病の症状出る。飲んでいないの酔っ払ったみたいにふらふら。酸素が足りない。ここは標高2600mなのだ。
8月2日(日)
 夜何度も目が覚める。0時、3時、4時、5時、6時30分ようやく起床。寒い。ダウンジャケットを着てキミと散歩。草原には霜が降りている。可愛い花にも霜が降り、山の端から朝日が照りはじめると輝く。むちゃくちゃきれいだ。快晴。
 9:00集合で、皆でパピードームそしてランバートドームへ。草原は一面のお花畑。
 昼食を済ませて、この日は14:00からパーソンズロッジで、キミのスライド&トーク「チウラオバタのヨセミテ」聴衆70名、すごく集中して聴いている。スライドもよかった。チウラオバタの絵はすごくいい。繊細かつ大胆。いのちの躍動感。大自然への畏れと尊敬。自然のなかでいのちが輝いている。
 帰ってきて、ライエルフォーク川で水浴び。むちゃくちゃ冷たい。でもシャワーがないので体をこすって洗う。頭も洗う。川のほとりで絵はがきをかく。
 夕食。またベッシーたちの招待。サルサとショートパスタ、スィートコーン。
 自分のテントに戻る。絵はがきの続きを書いて寝る。
8月3日(月)
 起床7:30 よく寝た。快晴。朝食はケーキ、紅茶、お味噌汁。
この日はタイオガ峠から4時間のクロスカントリーハイキング。ゲイラーレイクとグラニットレイクを巡る。景色も、お花も最高に美しい。ゲイラーレイクの水面の向こうに残雪がたくさん頂くシエラの山々が輝いている。帰ってきてまたライエルフォーク川で水浴び。これは日課になる。
 夕食のときアン・アイズラーと話す。「Music Walk」のレンジャー、マーガレットのお母さん。たぶん70代だと思うが、僕より背が高いおばあちゃん。1956-1961の6年間、ツォロミーにあったシエラクラブのSoda springs Campgroundの管理人だったと聞く。お話好きでいろいろなこと話す。毎夏ツォロミーに2週間キャンプで滞在している。南カリフォルニアのサンタバーバラから一人でクルマを運転してきている。すごい。このおばあさん洒落が利いていて、小さな丘にある私たちのキャンプサイトA46,A48,A49はすべてキミの友人達なので「Kimi’s Hill」と名付けた。
8月4日(火)
 またまたはやく起きてしまう。4:00に国際電話かけに行く。京都は猛暑だとか。こっちはダウンジャケット姿。摂氏6度。
 この日はヨセミテ国立公園のちょうど真ん中になるマウント・ホフマンMt.Hoffman(3,307m)行き。9:00に出発。快晴。9:30にメイレイクの駐車場について歩き出す。
 10:00メイレイク。またまたきれいな湖。ホフマンはなかなか厳しい。高度も3300mくらい。雪もたくさん残っていて、雪渓の上を歩く。最後は岩をかきわけて登る。12:20頂上到着。360度パノラマ。公園の北側半分が見える。初めて見る景色。頂上の北側は切り立っていて、下には凍った池が見えている。
 夕食。またまたおばさま方からのご招待。ソーセージ、具たくさんのスープ。コーン。
 20:00レンジャーの「キャンプファイアー」に参加。途中で隣のサイトにクマが出現し、場内騒然となる。
 21:00眠たくなってテントに入るが、隣のサイトの犬が吠え、鍋をたたく音も聴こえる。なにやら付近が騒々しい。熊のおでましらしい。ユージンは僕のテントの横を歩いていくクマの姿を見たらしい。
8月5日(水)
 6:00起床。快晴。この日はクラウズ・レストClouds Rest(3,025m)への単独行。7:20に出発し、ストア前でバスを待つが、なかなかこない。同様に待っていた少年達もフリスビーを始める。
 8:30バスがやっとくる。8:45テナヤレイク着。少年グループはヨセミテヴァレーに行くとのこと。歩きはじめるとテナヤレイクからの川を渡るが水かさが高く、ステップストーンが20センチほど沈んでいる。靴がもうびちょびちょ。
 トレイルからは花がきれい。途中珍しい鳥Blue Grouseをみる。(日本の雷鳥みたいなの)低い「ホッホッ」という鳴き声。親子でいた。
 11:40頂上到着。最後は「ナイフエッジ」両側が切り立っていて、足がすくむ。ハーフドーム、ヨセミテヴァレー、テナヤキャニオン。ホフマン。テナヤレイク。眺めが素晴らしい。
 12:15出発。帰り道、また例の少年達に会う。彼らは重いバックパックを担いでるために、もうヘトヘトになってる。オジサンの指導者と話してみるとロスアンジェルスの近くからきたボーイスカウトのグループらしい。自分は日本からきたと言うと「中国と一緒になって、どうだ?」という。首をかしげていると、よこから少年が「おいおいそれは香港やろ」と言っている。14:50テナヤレイクバス停着。往復約20km近く歩いている。
 しんどー。キャンプ場に帰って、グリルでハンバーガー食べ、Jumping to river。ベッシーやフローレンス達はこの日帰ったため、この夕食からは急にシンプルになる。味噌汁とカレーライス。暗くなってランタンを灯して、ビールを飲みながら星野道夫さんの話になり、「森と氷河と鯨」の話をしだすと止まらなくて、気がついたら2時間以上も下手な英語で喋り続けていた。22:30またクマ出現。
8月6日(木)
 この日はマウント・デナMt.Dana(3,979m)へ。8:20発。晴。公園の東側ゲート、タイオガ峠にクルマを停め歩き出す。風が冷たい。気温15度くらい。途中みる花がきれい。高度を上げていくと珍しい高山植物が次々とあらわれる。なかでも山の王様ともいわれる「Sky Pilot」の花は空の色のように青く美しい。岩がごろごろ瓦礫のようでなかなか険しいルート。
 11:20頂上着。3時間。眺めすごい。眼下にはモノレイク。ネバダの砂漠や山々が見渡せる。面白いことに東の砂漠地帯から吹き上げる熱風があるので頂上のほうが暖かい。昼食をとって、ちょっと昼寝して12:00下山開始。帰りは雪渓の上をジャンプしながら降りる。下界は結構暑い。所要時間1時間50分。この日は久しぶりにTuolumne Lodgeで熱いシャワー浴びて帰る。洗濯して、ブーツを洗って、ビールを川で冷やして、日記書き。キャンプ場は静か。
 18:30レンジャープログラム「ミュージックウォーク」にいく。またマーガレットのフルートのプログラム。僕のこともよく覚えてくれている。土曜日とは異なる内容。音楽のこと、自然の音のこと。耳を澄ませてみてなにがきこえるか。楽器もパンフルート、ケーナ等いろいろ出てくる。
 日没と同時にほぼ満月の月が東の山の端から昇りはじめる。素晴らしいタイミング。プログラム終了後もキミと二人で残り、20:50までお月見して帰る。
8月7日(金)
 6:30起床。快晴。今日で閉営だ。テント内を片づけ、このあと厄介になるメドレー家宿泊の荷物とキミにバークレーに持って帰ってもらう荷物とを分ける。
 7:40出発。道沿いに車を置いて歩き出す。30分かけてPothole Domeを裏側に回り、川のほとりで朝食。ここは草原のなかをゆったり流れてきたTuolumne Riverが急に暴れ出すところ。キミはスケッチをしている。(描き上げたら僕にくれた)
 9:50出発。ヨセミテヴァレーを経て、12:00El Portalのヨセミテ協会事務所に着く。下界はむちゃくちゃ暑い。ヨセミテ協会会長のスティーブン・メドレーさんと再会。
 このあとは国立公園の南にあるオークハーストとバークレーで3日をすごして8月11日、日本に帰ってきました。ハイシエラですごした7日間はあっという間でしたが、短い夏を謳歌する花々や、残雪を頂き輝くシエラの山々、身を切るほど冷たいライエルフォークの清流はいまもこころの中に焼きつけられています。
 ヨセミテへの旅は私にとっての聖地巡礼です。ひとりトレイルを歩いていると神の言葉も、悪魔のささやきも聴こえてきます。そんな自分自身と向き合い、いらないものをそぎ落としたキャンプの質素な生活から、ほんとうに大切なものが見えてくるように思います。

11回目のヨセミテの旅(2002.8/20〜9/1)



Helen LakeからNorth Peakをのぞむ

毎年8月はTuolumne Meadowsのキャンプ場に5泊するのが通例になっている。しかし今年のこの時期の旅はHawaiiにしようかどうかという迷いがあって、キャンプ場予約開始日の4/15に予約を入れることができなかった。その後もぐずぐずしていると「ついに今年はヨセミテに行けるよ」とYさんから連絡があり、その言葉に後押しされて、遅蒔きながら5月になってからプランを開始した。
キャンプ場の予約状況をみているとやはりTuolumne Meadowsの8/23,24の週末は予約はすでにいっぱいになっていた。そのため今回はWawonaのキャンプ場に2泊し、その後Tuolumne Meadowsに3泊という変則的な日程で行くことになった。

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10回目のヨセミテの旅(2002.5/28〜6/7)


タイオガレイク

ほんとうはこの年2月に10回目のヨセミテとなるはずの旅を計画していたのだが、9/11テロのあおりをくって、最終決断が延び延びになって結局中止してしまった。
記念すべき10回目は3ヶ月遅れの5月にようやく実現した。そういえば前回の9回目のヨセミテは帰りにハワイ島に寄って帰ってきたので日本の帰国は9/7。事件はその4日後だったので、もうすこしで足止めを食って帰れなくなるところだった。(ハワイに足止めなら大歓迎だが。)
今回は、たつろうさん、けいこさん、えいこさん、橋本ファミリー4名にあさやんと私という総勢9名の賑やかな旅だ。

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9回目のヨセミテの旅(2001.8/21〜30)


マウント・ホフマン頂上にて

8/21

台風11号の襲来で当初乗るはずの関空発UA810は欠航。UAと電話で連絡を取り合うがその後もキャンセル待ち。当日19時成田発UA826ホノルル乗り換えで行けることが分かり、取り急ぎ京都駅から新幹線で出る。
ダイヤは大幅に乱れており、おまけに満席でデッキに立つ。なんとか間に合う時間に東京に着けるはずが、大雨のため浜松で足止め。結局1時間ストップして、この計画もお流れ。翌日成田出発でサンフランシスコで合流予定のケンちゃんに連絡をとり、この日は千葉のケンちゃん宅に泊めてもらうことになった。

8/22

朝9時、ケンちゃんと一緒に成田空港へ向かう。京成電鉄で約45分と便利がいい。この時点でUA852サンフランシスコ便(1600発)はキャンセル待ち。UA838サンフランシスコ便(1725発)も同様であった。そして頼みの綱UA826ホノルル行き(乗り継ぎでサンフランシスコへ)はOKが出ていたのだが、なんと欠航になっていた。(ショックー)ケンちゃんはUA838を無事チェックイン完了。(いいなー)
翌日関西発の臨時便はOKが出ているが、もう成田では後がない。もう関西には戻りたくない。
カウンターでは15時にもう一度来いと言われる。ケンちゃんと一緒に昼食をとり(喉を通らないが)、一緒にラウンジで時間待ち。
1500、ケンちゃんを残しもう一度カウンターへ。(ケンちゃんのUA838はこの時点で3時間遅れに)
3〜4席空席がありそうだということでとりあえずゲートに行ってくださいといわれ、荷物を預けて「やったー」と出国手続きを済ませ、ゲートに向かう。ラウンジのアライさんにも「乗るよ」と電話。
ところがゲートのカウンターでは、「その後その空席は埋まってしまいました。チェックインしてゲートに現れない人が出れば別ですが・・・」、そしてゲートの係員はぼくの荷物を降ろす指示を電話で出している。
「ガーン!話が違うぞー!」
という間に搭乗が始まる。横で祈る気持ちで待つ。
待つこと約10分。また係員が電話でやりとりしている。「その1席使ってもいいですか?」と聞こえる。「ニシムラ様!」と呼ばれる。「乗っていただけます。」「ありがとうございます!」
他にも数人待っていたようだが、これはプレミアメンバーの威力だ。
そしてその席はビジネスクラスだった。ラッキー×2。
この日2回目の朝9時30分、サンフランシスコに無事到着。レンタカーを借り出して駐車場に停め、まずはマーくんが関西空港から到着。そして国内線でロスアンジェルスから到着のヒロミちゃん、ミホちゃんを出迎え。3時間遅れのケンちゃんを皆で食事をしながら待ち、ついに午後3時まえに全員集合してバークレーに向かった。
アウトドアストアR.E.I.で買い出しのあとホリデイインエキスプレスにチェックイン。

8/23

朝起きて7時、同室のケンちゃんとロビーに朝食に降りる。コーヒー、ジュース、マフィンやドーナツ。8時出発の約束をしているがあと3人はいつまでたっても降りてこないので内線電話してみるとまだ寝てた。(6月一緒に行ったIさんもそうだったので必ずモーニングコールしないとね)
出発はやや遅れて8時10分。ほぼ予定通り1200クレーンフラットのガソリンスタンドに到着し昼食。
タイオガロードに入り、オルムステッドポイント、テナヤ湖、ビジターセンターにストップして、1430 ツォロミーメドウズキャンプ場にチェックインした。
テントを設営して、ほっこりとしていたら赤色の4WDがサイトにやってきた。マリコさんとボーイフレンドのタカさんだ。(ふたりとも20代)5月頃からぼくにメールをくれていて、今回はサイトを訪ねて来ることになっていた。
全員の紹介をして、いろいろ長い話をしていたらもう夕方。マリコさんとは翌日ハイキングに一緒に行く約束をして二人は下山。ストアに食料やビール、薪を買いだしに行く。
この日はキャンベルの野菜スープ。夜は焚き火を囲んでみんなでしりとり大会。寒いな〜。7度くらい。

8/24

6時に起床してお湯を沸かしていたら、タカさんに送られてマリコさんやってくる。タカは仕事でヴァレーへ。マリコさんも一緒に朝食を食べる。マンモスには唯一のスーパー「ボンズ」があって、その話をいろいろしてくれる。
今日はモノパスへのハイキング。マリコさんは話好きで、皆といろんな話が弾む。ぼくのこともえらく持ち上げてくれる。(「にしむらさんは京都のジョンミューアです。」)
景色がきれいで高低差の少ない楽なコースで、2日目の小手試しには最適。
昼食後、峠を越えてモノレイクを望むポイントまで歩く。
1500に帰着。ライエルフォーク川の水浴びの場所とやり方もみなさんに伝える。(今回はキャンプサイトが川に近い)今回はゴーグルがあるので潜ってみると綺麗なニジマスがつかめそうなところにたくさんいた。
なんとこの日はショップが停電で閉鎖。こまった。もう薪もないし。タイオガパスリゾート(クルマで15分)に買い出しに行く。
1830からマーガレット・アイズラーのフルートのレンジャープログラムに皆で参加。参加者は毎年は多くても20〜30人ほどだが、今回は50人以上いた。すごい人気!
サンセットとフルート演奏に感動していた。
キャンプサイトに戻って、皆一緒に夕食。タカも仕事を終えて合流。今日ガイドのプログラムで使ったというブラックベアの皮を見せてもらう。
火を囲んで、みなでしりとり。

8/25

今日は朝から麓の街リーバイニングでお洗濯と買い物。またまたマリコ&タカと1130にモノレイクのビジターセンターで待ち合わせ。モービルガスステーションで一緒にランチを食べた後、モノレイク湖畔を見に行く。ハエが水面に黒々といる。「ケンちゃん、あそこに浮いて」と女の子達は容赦ない。
マリコ&タカは明日からサンフランシスコへ行くということで、ここでお別れ。ありがたいことに薪をたっぷりといただいた。
午後は休息、昼寝、川遊びなど自由。
なんと夜2130にカズさんグループが隣のサイトに到着。彼らの分もサイトを予約しておいたのだ。カズさんご夫妻のほか友人含め計7名。大騒ぎしてテント3張たてて就寝。

8/26

今日はマウントホフマン行き。朝ご飯と片づけを簡単に済ませて、0800に出発。0820メイレイクの駐車場にクルマをとめ、まずはメイレイクをめざす。0850到着。(結構早い)
休憩を終えて0900にまた歩き出す。皆なかなかの健脚でバテる人がいない。3度ほどの休憩だけで1030にあっさり頂上に着いてしまった。(このペースは後日私のハイキングの師匠もびっくりしていた)
ここから見るとヨセミテ渓谷は山火事の煙が充満している。その向こうでは4ヶ所程から煙が上がっているのが見えていた。
ほんとは頂上でランチと思っていたが、これではキャンプに帰れてしまう。早く帰ってメドウのグリルでハンバーガーを食べようという提案をしたら、みんなもそうしようということになり急ぎ下山。
午後はまた川遊びその他。
夕食はカズさんグループと合同。こちらは焚き火でチキンを焼くのとシーザーサラダ。カズさんグループはパスタやカレーほかいろいろ。途中ケンちゃんがサンセット見に若者たちを連れて行く。帰ってきたらまた食べて、こんどはスターウォッチングに出かけていく。その間ぼくはワイン飲みっぱなし。

8/27

残り日程が少なくなると、みな早朝の時間も惜しんで散歩に出かけている。ケンちゃんはもうどこか山の中に消えている。
ちょうど出るタイミングが合い、ミホちゃんと川をさかのぼる散歩へでかける。帰ってきたらヒロミちゃんがコーヒー入れてくれていた。うれしー。
今日はヨセミテ渓谷へ。タイオガロードを下っていくと、「わー」っと歓声が上がるところでも、なんと煙っていて何がなんだかわからない。降りきってトンネルビューまで上がり、クルマを降りるが、またまた何にもわからない。「ほんとはここから、こんな景色が見えてね」って言っても始まらない。ひどいもの。
ほんとはグレイシャーポイントへと思っていたがこれはキャンセル。
まずはブライダルベール滝をみて、(6月と比べるともう水量はチョロチョロ)、クルマをカリービレッジに置いてハッピーアイルへ。調子が良ければヴァーナル滝の下まで行こうかなと思ったが、いまいち皆の士気があがらない。「さきにピザ食べよう!ごちそうします。」ということでカリービレッジに戻る。
おいしいピザだったが、またまた士気が上がらない。
どうも暑いのと、景色が良くないのと、人が多いこと。それもいかにも観光客っていう人びと。ツォロミーの涼しさやハイカーやキャンパーの素朴さにすっかり慣れてしまうと、ヴァレーはいかにも俗世間なのだ。
そんな中ヨセミテ・ミュージアムではいい出会いがあった。いつもなら先住民のおばさん(ジュリア・パーカーさんとか)がかご編みの実演をしているところで、この日はレンジャーのシェルトン・ジョンソンが民族楽器の笛を何種類も持ってきて解説しながら吹いていたのだ。いろいろやりとりもして、楽しい出会いだった。
いちおうビジターセンター、アンセルアダムスギャラリー、ビレッジストアと一巡して、アワニーで休憩。ミホちゃんが「私たちのキャンプに帰ろう」という。やっぱりここに居場所がないのだ。
すこし空気が澄んできたので、エルキャピタンを見た後、もういちどトンネルビューを見に行く。こんどはバッチリだった。良かった。
夕食はキャンプに帰ってから、デリで買ったサンドイッチを切ってみんなで分けて食べた。

8/28

また皆早起きで、どこか朝のお散歩に。今日はメドウの真ん中で朝焼けを拝む。もうこれで最終日。
残りの食料を食べきって、食器やコッヘルも後片づけ。シュラフやテントもたたみ、荷物をまとめる。
結局出発は1000になってしまった。カズさんグループも。
途中オークデールのマクドナルドで昼食。1500バークレーの師匠宅に一同立ち寄ってお茶をいただきながら5日間の報告。そしてベイブリッジを渡ってサンフランシスコへ。ミヤコインのチェックインは1600だった。
1700 友人のオサム&アキコ夫妻日本よりミヤコインに到着。彼らは翌日からモントレー&ヨセミテへの旅だ。ジャパンタウンの中華料理屋で皆で夕食。あとでカズさんグループもやってきて総勢なんと14名になった。
カズさんグループを送り、翌日の朝ご飯を買い出しにスーパーへ。

8/29

キャンプの癖で早起き。ケンちゃんと部屋で朝食をとり、朝のお散歩へ行く。
メールチェックしたら、「EVN」さんからメールが入っている。「空港近くのモーテルにいるので、会いませんか」という内容。
0830オサム&アキコ夫妻を送り、ぼくらは0900に出発。空港でみなでお茶して、ゲートへ向かう皆を見送って解散した。
「EVN」さんに電話し、昼食を一緒にすることになった。サンマテオのダウンタウンの日本料理店。いろいろ旅の話をし、今夜よければルームシェアしましょうということになり、半額を出して泊めてもらうことになった。「レッドルーフイン」という宿で約70ドル。
この日は1830にすやまさんの家に集合となっている。「EVN」さんも同行。
「せーちゃん」「カネゴン」もやってきて、一緒に夕食しながらヨセミテの話しました。その間、「EVN」さんはほとんどすやま家のベビーシッターでした。

8/30

朝6時起床。「EVN」さんもこの日はゴルフということでつきあって早起きしてくれる。支度をして、「EVN」さんに見送られて出発。ありがたいことに空港までは10分もかからない。レンタカーを返却して、UA国内線カウンターにいく。早朝からもうたくさんの人が来ていて、「プレミアメンバー」用の列に並ぶが、こっちはこっちで長い行列。もしかすると一般の行列のほうが短かったかも。無事チェックインをすませて身軽になって、やっと朝食へ。ゲート近くのカフェでマフィンとカプチーノ。
出発時間まで1時間以上あるのでメールの返事をかきためる。
今回は日本には帰らない。このままハワイ島のコナへ行く。次の旅が始まる。

8回目のヨセミテ行(2001.5/29-6/2)

今回は家族+ゲスト4名という構成で行ってきました。

サンフランシスコ空港は新国際線ターミナルが完成しています。(2001.5/29)

今回は全員で8名と人数が多いのでハーツレンタカーで大きなバンを借りました。14人乗り。出発前にバークレーのホリディインエキスプレスで撮影。(2001.5/30)

バークレイから580号〜120号を使ってヨセミテに行きますが、途中の街エスカロンでいつもこのフルーツスタンドに立ち寄ります。いまどきの旬はチェリーとストロベリーです。(2001.5/30)

クレーンフラットのゲートです。1年間有効のナショナルパークパスを買って入場します。(2001.5/30)

ピクニックランチをしたクレーンフラットの森の中でSnowPlantを見つけました。(2001.5/30)

滝の水量はピーク。エルキャピタン近くの寿命の短いリボンフォールも流れています。(2001.5/30)

ヴァレーでは低公害エンジン+エアコン付きの新しいシャトルバスが走っています。(2001.5/30)

ミラーレイクへのハイキングに出かけました。(2001.5/31)

BBSでもおいしいと評判のカリービレッジのPIZZA PATIOです。行列ができています。(2001.5/31)

焼き上がりはほれこの通り。トッッピングで具を指定するのを忘れないように。(2001.5/31)

マーセド川でラフティングを楽しみました。カリービレッジでレンタルもあります。この楽しみは水量の多い時期だけ。(2001.5/31)

なかなか優雅でしょう!ハーフドームやヨセミテ滝など川からのビューポイントが次々と現れます。(2001.5/31)

ときには岸辺にボートを寄せて、水遊びです。(2001.5/31)

「あこがれの」アワニーホテルのメインダイニングで、はじめて朝食をとりました。雰囲気を楽しむだけなら朝食で十分かも。(このホテルは夕食はドレスコードがあります。)(2001.6/1)

グレイシャーポイントです。(2001.6/1)

ミストトレイルのハイキングで、ヴァーナル滝の上まで上がりました。水しぶきを浴びて気持ちよかったです。この時期ならではのハイキングですね。(2001.6/2)

日本+ベイエリアの友人たちとキャンプディナー。大勢で楽しみました。(2001.6/2)

7回目のヨセミテ行(2000.8/21〜30)


カシドラルピークをめぐるハイキング
今回は、3名の同行者に加えて小学校2年生になる息子、悠希が一緒にいく。彼は3年ぶり2回目のヨセミテだが、キャンプは初めて。さてどうなることやら。

8/21(月)
大阪伊丹から羽田。さらにリムジンバスに乗り成田空港から出国。サンフランシスコへ。
エイビスでレンタカー(ミニバン)借り出し、一路バークレーへ。
セール中のSierra Designsでダウンベスト。R.E.I.バークレー店で寝袋、マットなどを買う。(友人宅泊)

8/22(火)
オークランドに先週にオープンしたばかりの”Chabot Space & Science
Center”を見学。(友人宅泊)

 

8/23(水)
朝のラッシュアワーを避けるため6時に友人宅発。ベイブリッジ混雑しているが、まだそれほどでもない。
フォートメイソンのユースホステルへH君を迎えに行く。
8時ユニオンスクエアのクラウンプラザへNさんを迎えにいく。ここまで順調。
再びベイブリッジを渡り、580号でカストロバレーへ。BARTのカストロバレー駅前で10分遅れでKさんをピックアップ。
その後も120号線を順調に走り、12時には国立公園ゲートに到着。
クレーンフラットの森の中でランチ。
120号線(タイオガロード)さらに東へ向かいTuolumne Meadowsキャンプには2時30分に到着。

8/24(木)
2日目で少々キツイのだが、バッドレイクとカシドラルピークをめぐる日帰りハイキングにでかける。
バッドクリーク、バッドレイク(ここはオバタチウラが描いた湖)そしてカシドラルレイクを回って帰る。

Budd Lake
この日はみな疲労こんぱい。
元気な人は夕方のレンジャープログラム”Music for Parks”へ出かける。

8/25(金)
リーバイニングへ降りる。ランドリーで洗濯の間に近くのショップを見て回る。
モノレイク・ビジターセンター。
ゴーストタウンBODIEまで足を伸ばす。遠かった〜。

BODIEの町並み

夜はいつもの通り、火を焚いて、ビール飲んでお話し。悠希は焚き火をいじっていると元気。

キャンプファイヤー

8/26(土)
早朝雨
845発
ゲイラーレイクスへの半日ハイキング。途中レンジャープログラム一行と出会う。

Granite Lake
1320帰着
ハンバーガー食べてLyell Fork川で水浴び。悠希は川で大あばれして遊ぶ。
スポーツショップで偶然Mさん(東京の中学校の先生)と出会う。前に山梨で会ったことがある人。
キャンベルの野菜スープ+アルファ米でリゾット おいしかった。
夕方のレンジャープログラムに参加。”A Place for Music”オーケストラにいたことのあるレンジャー、マーガレットのフルートのプログラムだ。
これは夏のTuolumneの定番プログラム。
この日は快晴で西の山に日が落ち「サイコー!」

レンジャープログラム”A Place for Music”から

8/27(日)
6時30分出発でヴァレーへ降りる。お湯の出るヨセミテロッジで洗面、カフェテリアで朝食。エルキャピタン、トンネルビューを経てグレイシャーポイントへ。
降りてきてカリービレッジのピザで昼食。スモールでもでかい。(3人分はいける)
ここで解散自由行動。
ヴィレッジに移動し、お土産を物色。Nさんとアワニーホテルへ行き、テラスでビール。(おきまりのコース)
17時デリ前で集合。おなかが空いていないので、デリでサンドイッチとサラダを買い、帰路につく。
19時帰着。ビール、ジントニックで酒盛り。

8/28(月)
キャンプ撤収。9時20分に出発。
1420カストロバレー。その後、皆をバークレー、サンフランシスコに送り届け解散。
この日はサンフランシスコ・ジャパンタウンで夕食。

8/29(火)
8/30(水)
レンタカー返却し、UA809で関西空港へ。息子と二人ビジネスクラスへアップグレードでリッチな気持ちで帰国。

6回目のヨセミテ(2000.6/2-11)


6/2(金)
関西空港〜サンフランシスコ(UA810)。レンタカー(AVIS)借り出し、大韓航空で来る3人と合流。サンフランシスコ・ダウンタウンには向かわず、HWY101を南へ行き、「COYOTE POINT MUSEUM」の見学へ。その後ダウンタウンへ向かい、お連れ様はユニオンスクエア近くのカートライトホテルにチェックイン。私はベイブリッジを渡りバークレーの友人宅に宿泊。

6/3(土)
バークレーを出発。ナパバレーへと向かう。ユンヴィル周辺のワイナリー4つを巡る。試飲もさせてもらうがなにぶん運転手なので…。ユンヴィルの「VINTAGE INN」に宿泊。おいしいワイン飲んで寝る。

6/4(日)
ナパバレーを出発。途中ソノマ、サウサリートに立ち寄りサンフランシスコに到着。ジャパンタウンの「MIYAKO INN」にチェックイン。ここで今回ヨセミテに行く6名が全員集合。近くの中華料理屋でいっしょに夕食。

6/5(月)
朝8時に「MIYAKO INN」を出発。ベイブリッジを渡りHWY580に入るが途中道を勘違いして、オークランド市内に降りてしまい、またもういちど乗り直した道が24号で、Walnut Creekを経て580号に戻るべく680号に入るが、こんどは580号へのジャンクションをミスするなど散々で、おそらく30分以上のロス。帰りは単純にサンフランシスコのサインを見ていけばいいのですが、行きは途中の町の名前を(ナビゲーター共々)よく頭に入れて走らないとこんなことになる。
マンテカを経て、120号沿いのフルーツスタンド「GICO」で野菜、フルーツの仕入れ。BIG OAK FLATのエントランスからヨセミテ国立公園へ入園。クレーンフラットのガソリンスタンド&売店近くの森でサンドウィッチの昼食。
ヨセミテ渓谷に降りるが、そのまま奥には入らず、41号線に入って、「トンネル・ビュー」(ホームページの表紙写真のところ)を見に行く。
アッパーパインキャンプ場にチェックイン。今回のサイト27番は、スペースが広く、シャトルのバスストップやカリービレッジに近いなかなかいい場所でした。
一緒にヨセミテビレッジへお買い物。6時前にサイトに戻る。今回はバークレー在住の友人たち5名も近くのサイトで一緒なので、この日は「チリビーンズ」で交流会。デイタイムが長く、8時過ぎまで明るい。

6/6(火)
朝食後、今日はクルマに乗りグレイシャーポイントまで上がる。8時40分出発。ヨセミテフォール〜エルキャピタン〜グレイシャーポイントへ。
お昼にカリービレッジに着き、TさんYさんSさんはランチと買い物。Kさん親子とサイトに戻り、昼食(カレーマルシェ)。午後2時、Kさんのお嬢ちゃんの「とびひ」を診てもらいに診療所へ行く。受付で氏名、住所などを記入。看護婦さんに呼ばれて体重計に乗り、子供用の診察室に行く。(ぬいぐるみや絵本などがおいてある。)
医師は女性で、丁寧に問診、触診をしてくれた。Kさんは英語がよくできないので、通訳お手伝い。抗生物質入りの軟膏を出してもらう。診察料と薬代で134ドル。カードやチェックでの支払いも可能。診断書や処方箋、レシートなど、旅行傷害保険の請求に必要な書類を全部くれた。
15時30分ラフティングへ。Kさん親子の申し込みのサポートに行くつもりが、12歳以上の「漕ぎ手」が2名必要とのことで、急遽自分も参加することになった。大人12.75ドル、子供10.75ドル。スタッフの諸注意のあと、自分でマーセド川までゴムボートを運ぶのだが、これがシンドイ。水量がとても多くゆったりと楽しんだ。
この日夕食は日本組担当で山梨名物の「ほうとう」。

6/7(水)
今日はTさんYさんSさんの20代女性3名はハーフドームへ。早朝6時45分に出発していった。
Kさん親子と私はタイオガロードを通り、オルムステッドポイント、テナヤ湖、ツォロミーメドウズ(ランチ)を経て、タイオガ峠のエントランスまで行く。ここはもう標高3000mで残雪もたくさんあった。ツォロミーメドウズのビジターセンターでは毎年レンジャープログラムでフルートの演奏を聴かせてくれる国立公園レンジャー、マーガレット・アイズラーと再会。
キャンプ場に戻りハウスキーピングキャンプにシャワーと洗濯に出かけ、お昼寝。午後6時にハーフドーム組が無事帰着。

6/8(木)
未明からひどい雨と雷。皆のテントはなんとか無事。しかし朝食はヨセミテロッジまで出かけることにする。洗面所もお湯が出るし、雨の中、気分転換にはいい。アメリカ組とこの日お別れし、私たちはワワナ〜マリポサグローブ方面へ。
マリポサグローブでヨセミテ・アソシエーションの会長スティーブン・メドレー氏と待ち合わせ。再会を喜びすこしお話。マリポサグローブはまだ雨だったがトラムツアーに寒さに震えながら参加。なんと上のほうは「雪」だった。


キャンプサイトに戻り昼食。午後はフリータイム。(私はアワニーホテルでビール。)夕食はヨセミテロッジ・マウンテンルームで野菜の補給。夜キャンプサイトで火焚いてワイン飲んでいたらクマ出現。

6/9(金)
早朝お散歩。草原に靄がかかり幻想的。キャンプサイトの後片づけ、チェックアウトを経ていよいよ出発。最後のお買い物をヨセミテロッジで済ませ、午前10時出発。帰りは順調に飛ばし、午後2時にはバークレーへ。友人宅に寄ってキャンプ道具一式を預け、巨大アウトドアショップREIに立ち寄ってサンフランシスコへ。「MIYAKO INN」にチェックイン。
フィッシャーマンズワーフで遊び、ノースビーチ(イタリア人町)でおいしい夕食。
深夜のKAL便で帰るKさん親子を見送り。

6/10(土)
ホテルをチェックアウト。残留するYさんに見送られ出発。ガソリンを補給してレンタカーを返却。ANA成田便で帰るTさんSさんの搭乗を見届けて、UA809のゲートへ向かう。チェックインの際に座席の指定がなくおかしいなと思っていたら、20名以上のオーバーブッキングがあるらしい。翌日の同便のビジネスクラス+ホテル代+国際電話代+200ドル現金又は500ドルのUA利用権でボランティア募っているが、日曜日中に帰らないと、月曜日には仕事の予定が入っている。うーん残念!

6/11(日)
満席のUA809で関西空港に無事帰国。