• カテゴリー別アーカイブ 歴史
  • ヨセミテ観光150周年

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    7月27日は、ヨセミテに初めての観光客がやってきた150周年にあたります。
    James Mason Hutchingsはヨセミテでの最初の観光業者ですが、1855年、彼に引率されたグループがヨセミテを訪問しました。その中にはアーティストのThomas Ayresが含まれており、 Ayresの描いたヨセミテのスケッチはHutchingsの文章とともに世界中に紹介され、ヨセミテ観光の時代に幕が開いたというわけです。
    (NPSのDaily Reportより)
    Ayresのスケッチはこちらのページ”A trip to the yohamite valley”に載っています。

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  • Fresh Look At Yosemite

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    10年越し(計画から終了まで)のヨセミテ滝周辺の工事が終わったそうです。
    San Jose Mercury Newsの一面記事になっています。
    記事では http://www.yosemitefund.org を参考にしています。
    工事費用の主な募金者:
    $1.7M 入園料、連邦の基金
    $1M  Sunset Magazinの(前)出版者Bill Lane
    $1M Chevron Texaco(石油会社)
    $1M  Mary Bell Floyd Memorial Fund
    $500K ヨセミテライセンスプレートからの収益
    SJ Mercuryのon-line版
    Yosemite makeover
    ”In an effort to restore natural character, officials at Yosemite National Park have completed a $13.5 million renovation of the visitor areas around the base of Yosemite Falls.”


  • 「ヨセミテ」の語源

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    1851年、マリポサ大隊のBunnellによって命名[1]された「ヨセミテ渓谷」ですが、Daniel E. Anserson氏が「ヨセミテ」の語源について、簡潔な紹介記事を書いています[2]。 それによると 「ヨセミテ」はミウォーク(Miwok)族により、ヨセミテ渓谷に住むインディアンを指して使われていた言葉とのことです。その意味は”those who kill”(註:日本語では「殺し屋たち」という意味でしょうか)。「ヨセミテ」の”yos”は「to kill」、”e”は「one who」、そして複数形をさす”meti”の三つの部分に分解されるようです(註:細かい事ですが、”Yosemite”ではなく”Yosemeti”を使い、それを3つに分解しています)。ヨセミテ渓谷を取り囲むインデアンの部族は、彼らを恐れ、そう呼んでいたようです。テナヤを酋長とするヨセミテ族はシエラの東側のモノ・パイユート族を含むいくつかの部族から成り立っていました。パイユートは伝統的に平和的なミウォーク族の敵でした。 さて、ヨセミテ族はヨセミテ渓谷を”Awooni”(アワ二ー)と呼んでおり、それは gaping mouth (註:gapping は「裂ける」、「ぎざぎざになる」)を意味しています。また、そこに住む自分たちを”Ah-wah-ne-chee”(アワニーの住人)と呼んでいました。もともとは渓谷内の最大の村(ヨセミテ滝の南東にあった)を指していましたが、後に渓谷全体を指すようになりました。マリポサ大隊の指揮官Savageは、酋長テナヤが説明しようとしたアワニーの意味を取り違えたとBunnellは述べています[3]。Bunnell自身はヨセミテを”Grizzly Bear”の意味だと書いてていますが、これもまたSavageによる間違いだったようで、”isimati”というMiwokの「熊」を”yosemite”と聞き違えたようです[4,5]。

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  • Half Dome初登頂:1875年

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    ”The Yosemite Book”(1869年版)でWhitneyに登頂不可能(”rising to the height of 4,737 feet above the Valley, perfectly inaccessible, being probably the only one of all the prominent points about the Yosemite which never has been, and never will be trodden by human foot.”)と言わしめたハーフドームでしたが、その初登は意外にも早くやってきました。以下はMuirの文[1,2]にもとづく初登の記録です。 
     バレーの住人John Conwayは、岩登りの得意な自分の子供たちをHalf Domeに向かわせます。鉄釘を岩の割れ目に打ち込み、それにロープを固定しつつ最後の斜面(現在のケーブルルート、斜度46度)を登らせるつもりでした。子供たちは300フィートの高さまで達しましたがそこから先は岩にドリルで穴を開けない限り突破できないことがわかります。そこでConwayは、子供たちに撤退を命じます。その数年後(1875年)、同じバレーの住人George C. Andersonは、彼らが残したロープを辿り、最高到達地点まで達します。そこからは、5〜6フィート間隔で岩にドリルで穴を穿ち、ボルトを打ち込んでいきました。ボルトはロープの固定と足がかりとして使われます。そして数日後(10月12日)、ついに頂上に達しました。Mt. Shasta[3]の旅から帰ってきたばかりのMuirは、11月10日に第9登[4]を果たしました。面白い事に、切れおちている崖による視覚への影響のせいか、ドームの上から見る渓谷の眺めは、そこより低い場所に比べて劣ると書いています。また彼らしく、頂上にある植物の事が書かれています。
     Muir本人としてはHalf Domeが手付かずの状態であってほしかったようですが(”For my part I should prefer leaving it in pure wilderness…”)、1919年にシエラクラブによって600フィートのジグザグの階段状トレイルが前衛のドームに、最後の部分には800フィートの長さの2本のケーブルが恒久的に建設されることになります[5]。

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  • Protection added to land near Yosemite

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    今日のSan Jose Mercury News より。

    ヨセミテ国立公園に隣接する個人所有のRansome牧場(面積730エーカー)が“The Pacific Forest Trust”(サンタ・ローザに本部がある民間の環境保全団体)によって購入され、保全されることになったということです。この土地はかつてジョン・ミューアがヨセミテ国立公園の境界を提案した際に含まれていたが、木材会社のロビー活動によって除外されていたもので、「私たちはこれによって、ミューアのオリジナルのビジョンを完成させ、彼が認識した価値を回復することができる。」とトラストの会長は話しています。(要約:にしむら)

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  • Hetch Hetchyを回復させよう

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    環境保護団体、Environmental Defenseがサンフランシスコの大規模な水道構造補修にあたり、ヘチヘチのダムを閉鎖し、修復することを提案しています。サンフランシスコはヘチヘチダムからの水がなくなっても他から十分補充できるとのこと。
    ヘチヘチが水没したことに傷付いて死んでしまったと言われる程ジョンミューアの愛した場所が修復されるというのは、実現はかなり難しいでしょうが、夢見てしまいます。
    http://www.environmentaldefense.org/hetchhetchy/index.cfm


  • High Sierra

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    何気無く使っている「High Sierra」という言葉ですが、”The Geologic Story of Yosemite National Park” (N. King Huber著、Yosemite Association出版) によると、それはJ. D. Whitneyによって造られた言葉と書いてありました。確かにWhitneyの「The Yosemite Book」(1868年出版)の第四章には「The High Sierra」とタイトルが付いており、以下のような文章で始まっています。
    「Having, in the last chapter, given as full a description of the Yosemite Valley as our space will permit, we proceed next to call the reader’s attention to the higher region of the Sierra Nevada, the Alps of California, as the upper portion of the great chain of mountains is sometimes called; this region we designate, for convenience, as the ”High Sierra.” It is, however, especially the elevated valleys and mountains which lie above and near the Yosemite that we wish to describe, and to endeavor to bring to the reader’s notice, as this is not only a region central and easy of access, but one extremely picturesque, and offering to the lover of high mountain scenery every possible inducement for a visit.」


  • ヨセミテ国立公園における環境教育活動

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    Environmental Education in Yosemite N.P.

    「すべての人にとって、パンと同じように美も必要なのです。」ジョン・ミューア

    ■国立公園における環境教育の方針
    19世紀から20世紀初頭にかけ、ヨセミテをはじめシエラネバダの山々を歩き、生活し、大自然から多くのことを学びとった「アメリカ自然保護の父」ジョン・ミューアは、活動の基本的姿勢として、「自然の美しさ、すばらしさを多くの人々に知ってもらうこと。」を旨としていた。「知らない人に自然保護を訴えてもわかってもらえない。」と。

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  • アメリカの国立公園事情

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    text by 西村仁志


    ■アメリカの国立公園
     アメリカは世界で最初に国立公園制度をつくった国である。1872年のイエローストーン国立公園創設から8年前にさかのぼる1864にはリンカーン大統領の署名によりヨセミテがカリフォルニアの州立公園に指定されている。日本はまだ幕末の頃であり、またアメリカもまだ南北戦争の最中であった。そんな時代にすでにこの国の政府関係者が自然の保護について真剣に考えていたというのは驚くべきことだ。現在では海外領を含む全米に54の国立公園があり、アメリカ国民だけではなく世界中から多くの訪問客を迎えている。

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