• カテゴリー別アーカイブ 歴史
  • SUNSET AFTER A STORM, YOSEMITE VALLEY, CALIFORNIA; 1970

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    20101120
    1970年10月23日、Warren HardingとDean Coldwellは、El CapitanのEarly Morning Light壁の初登をめざし、数週間分もの食料を持ち、岩壁に取り付きました。
    11月に入ると秋の嵐がヨセミテを通過し、NPSは11日に彼らの救助を決定します。友人でもありクライミングパートナーでもあるRowellにも、救助に参加を要請する電話がかかり、Jim Bridwellと共にベイエリアからヨセミテへと向かいます。Crane FlatからValleyへと下っていくと、雲間からEl CapitanとHalf Domeが見え出してきました。今までに無いベストなシーンと感じたRowellは、3分ほど立ち止まり、200mm望遠で2枚の写真を撮りました。「Mountain Light」には、その写真を撮るにあたってユニークだと感じた二つの要素を述べています。
    “First, the two most striking granite forms of the valley, Half Dome and El Capitan, appeared side by side , although they are actually at opposite ends of the valley. Second, each was lit with splendid, but very different, light. Together, the two factors gave the formations the separate character they have in real life, an effect that doesn’t usually come across in photos. Usually, images show the great rocks lit in similar light as part of a two-dimensional scene, thereby failing to convey the power of the landscape, which I saw coming alive. With El Capitan in red sunset light and Half Dome in blue shadow under a cloud, this image is a kind of visual archetype of the Yosemite experience.”
    同じ時に同じ場所を通りかかったなら、まずほとんどの人が車を止めて撮影をすると思いますが、Rowellのようなことをどれだけの人が意識するのかは興味深いところです。 上の写真は、4冊の写真集を並べたものです。左上から時計回りに「Mountain Light」(初版1986年、これは1995年 Sierra Club Books版)、「THE YOSEMITE」(1989年、Sierra Club Books版)、「THE YOSEMITE」(2001年, YA版)、「California THE BEAUTIFUL」(2002年、Welcome Books版)です。面白いことに、年が進むにつれて、どんどん赤色が強くなって(着色されて?)きています。 さてValleyに到着したものの、救助はNPSの先走りだったため、その日に中止になります。Hardingらは順調に登り続け、11月18日に報道陣が並ぶEl Capの頂上にたどり着きました。


  • LAST LIGHT ON HORSETAIL FALL

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    20101117
    Galen Rowellの、ヨセミテ写真の中で有名なものの一つに、「LAST LIGHT ON HORSETAIL FALL, YOSEMITE’s “NATURAL FIREWALL”, CALIFORNIA; 1973」があります。同氏の写真集”Mountain Light” に撮影時にまつわる裏話が書いてあります。ごく簡単にまとめると:
    とある夕方、岩登りの後に友人とドライブ中、いままで見たことも聞いたことも無い現象を見かけ写真を撮ろうとしましたが、光はすでにあせてしまいました。しかし次の日の夕方、レンジャーのRiegelhuth氏(後のチーフレンジャー)を乗せてドライブしているときに、再び滝が光るのを見かけます。
    ”Excuse me Dick, The Light is wild on Horsetail Fall, and if you do not mind, I’m going to race over there and try to get a picture.”とRowellは話し、制限速度の2倍ほどで運転してスポットに到着、300mmのレンズのついたカメラをもって、チェーンフェンスを乗り越え、撮影場所を探します。赤い水煙の入る構図は完璧でしたが、足りないものがありました。滝を見ていたRiegelhuth氏はフェンスまで近寄ってきて「何か足りないものは?」と尋ねます。”My Tripod. It’s in the backseat.” 氏から三脚が手渡され、光が消えてしまうまでに、数枚の写真を撮ることが出来ました。
    Michael Fryeによると、1940年にAnsel Adamsは、午後の光のもとで、滝の白黒写真を撮っていたようです。ですが日没時、オレンジに輝く滝をカラーで撮ったのは、Rowellが最初だと書いています。


  • ヨセミテ国立公園は10月1日に120周年を迎えます

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    NPSのニュースリリースに「Yosemite National Park Celebrates 120th Birthday on October 1」という記事が出ています。
    ヨセミテ国立公園は、イエローストーン、セコイアに続き3番目の国立公園として1890年に誕生したというわけです。今回はとくに大きなイベントは行われないようですが、これは2014年に「The Yosemite Grant」(連邦議会での議決とリンカーン大統領のサインによって1864年に指定。実質的に最初の国立公園制度ともいえる。)の150周年イベントを計画しているということのようです。


  • ヨセミテ国立公園の環境学習施設の将来

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    ヨセミテ国立公園で、国立公園局と連携して学校団体を中心に宿泊型の環境学習プログラムを提供している「Yosemite Institute(YI)」という施設があります。(現在はNatureBridgeというNPOの一拠点です。)
    http://www.naturebridge.org/
    ヨセミテヴァレーから車で約30分ほどのClane Flatにあります。
    ここでは日本ネイチャーゲーム協会が「ヨセミテ自然学校」というツアーをながく開催されてきたパートナー先でもありますので、ご存じの方も多いと思います。
    この施設は第二次大戦前後の国立公園施設(CCCという、青年労働奉仕プログラムのために作られた)を利用して1973年から運営をされてきました。老朽化も進み、自然環境への影響やユニバーサルアクセスという観点からも現在の基準に合わなくなってきています。
    そのため国立公園局(公園管理事務所)では2002年からこの施設およびプログラムの移転先や環境影響、その他の代案検討をスタートし、この度最終の報告書をまとめています。(結果として1.現状維持、2.現キャンパスの改善、3.新キャンパスへの移転 という3つのオプションが示されています。)
    年月をかけて慎重なかつ多角的なプロセスで検討されたもので、施設関係の方々には参考になると思います。
    以下のページから、多くの関係pdf書類にアクセスできます。(英語)
    http://www.nps.gov/yose/parkmgmt/eecampus.htm


  • A Sierra Storm:1864

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    [西から望むMt. Clark]
    11月5日、二頭のミュールに一週間分の食料と二枚の毛布を積んだKingとCotterは、マリポサトレイルを使い渓谷の南側に上り、Bridalveil Creekの東の支流まで進み、キャンプをします。翌日はIllilouette谷に下り、モレインを辿り、午後遅くMt. Clark南側のメドウに達しました。この頃から天気が下り坂に向かい始めます。翌12日は雲が低く垂れ込め、周辺の山々を包み込み、風が強く吹き始めました。Kingは天気の回復を待つこととし、この日は周辺で鉱物調査をして過ごすこととしました。夜半9時、突然風がやみ、雪が降り始めます。夜中、毛布がどんどん重くなっていくことを感じつつも、二人は眠り続け、翌朝目が覚めたとき、やっと1フィート半もの雪が積もっているのに気付きます。もはや登山どころではなく、二人は急ぎ朝食を済ませ、引き返し始めます。雪嵐のなか、往路に描いておいた絵地図とコンパスを頼りに、マリポサトレイルにたどり着けたのは出発から8時間後でした。
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    [Inspiration Point付近から望む渓谷(現在のOld Inspiration Point付近)。カラーをセピア化しています]
    標高も低くなり積雪量は減っていたもの、Inspiration Pointに達した時には、凍てつく雪混じりの烈風が渓谷から吹き上げており、進退窮まってしまいます。凍りついた木の下で1時間近く休んでいると、突然凪が訪れ、真っ白になったヨセミテ渓谷やハイシエラの山々が目前に出現します。このチャンスを見計らい、夕闇が迫る中、二人はトレイルを下り、心配する仲間たちの待つキャビンへたどり着くことが出来ました。夜半、一時的に星が見えたものの、早朝にかけて雷雨が通り過ぎます。降雪で渓谷から脱出できなくなることを憂えたCotter、Wilmer、Hydeの三人は、早朝にWawonaへむけ出発します。一方、King、Gardner、Clarkらは渓谷にとどまり、嵐がもたらした雪と、水と霧が作り出す、渓谷の奇観を見て過ごすことにしました。Merced川の水位は上昇し、キャビンに達するような勢いとなり、ヨセミテ滝は落ちる水で大轟音を発しはじめます。翌15日、夜半からの冷え込みと、再び始まった積雪を見て、さすがに三人も脱出を決意します。渓谷の底では7-8インチ程度の積雪でしたが、Inspiration Point付近では18インチの深さがありました。9時間後の午後4時にはWestfallのキャビン(Bridalveil Creek CGの南西)に到着しました。すぐ後には、心配したCotterがWawonaからのトレイルを戻ってきます。最悪の状況を考えたKingはCotterと共に、雪がちらつき始める中、まだ残ってる足跡を辿り、Wawonaへと向かうことにします。道に迷ったり、Cotterが疲れきって倒れるなどの困難がありましたが、深夜2時、どうにか二人はClark’s Ranchに到着します。Kingの心配は稀有に終わり、天気は翌日の昼までもち、GardnerとClarkも無事下山して来ました。
    午後からは再び嵐が通り過ぎ、17日の朝までにWawona周辺に2ft.の湿った雪を降らせます。一行は重い機材は残し、必要最低限のものだけをミュールに積み、ChowchillaトレイルでMariposaに向かいます。交代で雪を掻き分けて進み、昼過ぎには峠に達します。反対側の下りには雪も序々に浅くなり、最後は豪雨の中、ところどころ鉄砲水で分断されたトレイルを進んでいくことになります。機材を積んだミュールが川に落ちておぼれそうになると言うハプニングがあったものの、二日目には天気も回復し、無事にMariposaへ着くことが出来ました。
    King、Gardner、Cotterは此処でClarkと分かれ、さらに二日をかけ、ぬかるみとなったセントラルバレーを越え、無事サンフランシスコへと到着、Yosemiteの測量結果を無事Frederick Olmstedに手渡すことが出来ました。こうして、5月に始まってから足掛け半年にも及んだCalifornia Geological Surveyの1864年の活動は、幕を下ろすことになりました。彼らの作成した地図は、やがて”Map of the Yosemite Valley from Surveys made by order of the Commissioners to manage the Yosemite Valley and Mariposa Big Tree Grove by C. King and J. T. Gardner, 1865. Drawn by J.T.G”というタイトルで、1868年Whitneyの出版した『The Yosemite Book』に、ヨセミテ最初の本格的地図として添付されることになります。
    『California Geological Surveyのシエラネバダ調査:1863-1864年』(完)


  • Around Yosemite Walls : 1864

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    ヨセミテ州立公園境界(1864年)
    10月5日、King、Gardner、Cotterらは、マリポサトレイルからヨセミテ渓谷に入り、Blackのホテル傍のキャビンを測量のベースキャンプに定めました。手伝いとして、マリポサ大隊のFredrick A. Clark、渓谷の住人LongherstとWilmerが加わります。早速翌日、一行は二頭のミュールとともにBig Oak Flatトレイルを使って渓谷の北側に上り、Monoトレイルを辿ってEl Capitanのすぐ西側の沢(Ribbon Creek)のほとりにキャンプ地を構えます。この沢の水は、ヨセミテ渓谷最大の落差を誇るRibbon Fallの水源で、当時はホテルを経営するHutchingsが名づけたVirgin’s Tearsと呼ばれていました。7日、一行はEl Capitanへ行き、渓谷全般の偵察や、岩壁を覗き込んだりしました。翌日からはいよいよ測量を開始します。境界は渓谷の淵からほぼ1マイルのところに設定されます。測量はチェーン測量法を使って一週間ほど続けられ、測量線がBoundary Hillに達したところで三角測量に切り替え、1マイルほど先のYosemite Creekの東側に測点を移します。同時にキャンプ地もNorth Domeの北西付近にあるメドウに移動し、Indian Rockに達するまで測量が続けられました(Clouds Rest、Mt. Star Kingには上っていません)。Kingはこの間、North DomeからRoyal Archの淵まで下ったり、Mt. Hoffmann登山、そしてTenaya Lake方面へ探索をしました。Mt. Hoffmannに登った際には、反対側に下り、Yosemite Creekをその水源からヨセミテ滝の落ち口まで辿ります。そしてモレイン跡や、条線、擦痕など、ヨセミテを覆っていた氷河の痕跡を見つけています。
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    Boundary HillからYosemite Creek越しに見るIndian Rock、North Dome、Clouds Rest、Half Domeなど
    北側の測量が終わると、一行はヨセミテ渓谷へと戻ってきました。一日休憩した後、今度はマリポサトレイルを使い、南側へと上り、Meadow Brookにキャンプを設営、同様に渓谷の淵から1マイルほどのところで、境界の測量を続けて行きます。こちら側でもKingは地学的探索をし、Bridalveil滝の落ち口付近や、Glacier Pointの東側1,000フィートほど下に見える突き出た岩などへも降りています。さまざまな痕跡を調べたKingは、最低でも1,000ft.の厚さの氷河が渓谷に流れ込み、それらが渓谷の底を覆っていただろうと推測しています。境界測量は一月ほどで終わり、測量隊は11月初旬、ヨセミテ渓谷のキャビンへ戻ってきました。しかしここでKingは、残された時間を使い、Cotterと共に鮫の背びれの形をした山、Mt. Clarkの初登頂を目指すべく、再びマリポサトレイルを上ることになります。
    以上は『California Geological Surveyのシエラネバダ調査:1863-1864』の続きです。


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